漫画「ルパン三世」の原作者のモンキー・パンチさん(本名・加藤一彦=かとう・かずひこ)が11日午前7時26分、肺炎のため亡くなった。17日、公式サイトが発表した。81歳だった。
公式サイトは「漫画家であり有限会社MPスタジオ代表のモンキー・パンチ(本名・加藤一彦)が、2019年4月11日(木)午前7時26分、肺炎のため逝去しました。享年83歳。故人の遺志により、葬儀につきましては近親者のみにて執り行いましたことをご報告いたします。ここに皆々様の生前のご厚誼を深謝いたします。ありがとうございました」(原文まま)
モンキー・パンチさんは北海道浜中町に生まれ、霧多布高校定時制に通いながら放射線技師の助手を務めた。19歳で漫画家を目指して上京し、貸本屋の漫画を描く仕事で生計を立てていた。その中、1965年(昭40)に双葉社「漫画ストーリー」から「プレイボーイ入門」でデビュー。翌年、同誌の清水文人編集長の提案を受け「モンキー・パンチ」をペンネームにした。
そして1967年(昭42)に「週刊漫画アクション」で「ルパン三世」の連載をスタートさせた。「ルパン三世」は1971年(昭46)に日本テレビ系でアニメが放送され、映画化もされるなど日本を代表する漫画、キャラクターとなった。5月31日には映画最新作「LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘」(小池健監督)が公開される。[2019.04.17]
via https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201904170000145.html
・モンキー・パンチさん死去。「ルパン三世」の生みの親、ペンネームの由来は本人も知らなかった
日本が誇るアニメ『ルパン三世』の原作者で漫画家のモンキー・パンチさん(本名:加藤一彦)が4月11日、肺炎のために死去した。81歳だった。故人の遺志により葬儀は近親者のみで済ませたという。同氏の公式サイトで発表された。
■編集長の独断で命名「ペンネームつけてやる、モンキー・パンチだ」
日本私立大学協会の公式サイトによると、モンキー・パンチさんは、1937年、北海道の浜中村(現在の浜中町)出身。終戦後に登場した手塚治虫さん(故人)の漫画にショックを受けたと話していた。
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北海道霧多布高校を経て、東海大学専門学校電気科中退。1967年に「週刊漫画アクション」で『ルパン三世』を連載開始した。読者の反響がなければ違う題材に変更される方針だった。
アメリカの風刺漫画雑誌「MAD」の影響を受けたという荒々しいタッチで、アルセーヌ・ルパンの孫にあたる大泥棒のルパン三世と、次元大介、石川五ェ門、峰不二子、銭形警部ら個性的なキャラクターを描き、先を読めない展開が人気を呼んで2年間、連載された。
1971年以降、たびたびテレビアニメ化されて大ヒット作品となった。1979年に公開された劇場版第2作の「ルパン三世 カリオストロの城」は、宮崎駿さんの映画初監督作品となった。
モンキー・パンチという変わったペンネームの由来については、双葉社で「週刊漫画アクション」の初代編集長だった清水文人さん(故人)の命名だという。本人は産経新聞のインタビューで以下のように振り返っていた。
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via https://www.huffingtonpost.jp/entry/monkeypunch_jp_5cb6726de4b098b9a2dbec10
・昭和の神絵師が…「ルパン三世」のモンキー・パンチさんが逝去
https://matome.naver.jp/odai/2155545267397073201
・モンキー・パンチ公式WEBサイト
http://www.monkeypunch.com/
・モンキー・パンチ -:Wikipedia
・峰不二子で追悼…モンキー・パンチさんの訃報に芸能界からも悲しみの声
https://matome.naver.jp/odai/2155554057824318001