『ちびまる子ちゃん』で知られる漫画家のさくらももこさんが、乳がんのため15日に死去したことが27日、わかった。享年53。メディア向けの書面や公式ブログで発表された。
書面では「さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます」と報告。
さくらさんは1984年に漫画家としてデビュー。ブログでは30周年を迎えた際の言葉として「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」と紹介した。
さらに「作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです」と呼びかけている。
アニメ版でまるこの声優を務めるTARAKOも書面でコメントを発表。「早すぎます。まだまだやりたいこといっぱい、いっぱいあったと思います。ずっとお会いしてなかったので、私の中のももこ先生は、ずっと小さくて可愛くてまあるい笑顔のままです」と追悼した。
なお、フジテレビは放送中のアニメについて「今後も変わらず放送を続けてまいります」としている。
『ちびまる子ちゃん』が掲載された『りぼん』(集英社)の相田聡一編集長は「1986年8月号より連載開始した『ちびまる子ちゃん』は、たぐいまれなギャグセンスと、親近感あふれる登場人物、そして彼らへ注がれるまなざしの温かさが魅力で、瞬く間に一雑誌の枠を超える大人気作品となりました。その誕生の舞台となったことは編集部の大きな喜びです」とさくらさんに感謝。「早すぎるご逝去を惜しむ気持ちに終わりはありませんが、まるちゃんとその仲間たちの明るい笑顔は、子どもから大人まで、読者の皆さまの心の中で、いつまでも変わることなく輝き続けます。さくらももこ先生、ありがとうございました」と追悼した。
さくらさんは1965年5月8日生まれ。静岡県清水市出身。大学在学中に漫画家デビュー。代表作は漫画『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』『神のちからっ子新聞』、エッセイ『もものかんづめ』『さるのこしかけ』など。アニメ『ちびまる子ちゃん』の主題歌「おどるポンポコリン」の作詞も手がけた。
via https://www.oricon.co.jp/news/2118361/full/
◆さくらプロダクションからお知らせです。
さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)
これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
さくらは1984年に漫画家としてデビュー。30周年を迎えた際、次のような言葉があります。「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」(『さくらももこの世界展』「デビュー30周年を迎えて」より抜粋)
作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。
これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです。
なお、通夜・告別式は、ご遺族の意向により親族・近親者のみにより執り行われました。さくらプロダクションスタッフ一同
平成30年8月27日
via https://lineblog.me/sakuramomoko/archives/67300025.html
国民的人気漫画「ちびまる子ちゃん」などで知られる漫画家のさくらももこさんが今月15日、乳がんのため亡くなりました。53歳でした。
さくらももこさんは、静岡県の旧清水市、現在の静岡市清水区出身で、昭和59年に漫画家としてデビューしました。
昭和61年には自身の子どものころをモデルとした人気漫画「ちびまる子ちゃん」の連載がスタートし、平成2年には民放でテレビアニメ化され、30年近くたった今も続く国民的な人気番組となりました。
アニメのエンディングテーマ曲の「おどるポンポコリン」はさくらさんも作詞を担当し、耳に残る印象的な歌詞などが話題となって大ヒット曲となりました。
その後、自身の体験をつづった「もものかんづめ」や「さるのこしかけ」などのエッセーもベストセラーとなったほか、独特のキャラクターが登場するギャグ漫画「コジコジ」もテレビアニメ化されました。
さくらさんの事務所によりますと、さくらさんは今月15日、乳がんのため亡くなったということです。
さくらさんの事務所は、平成26年にデビュー30周年を迎えた際のさくらさんのコメントを改めて発表し、「30年間、良いことも大変なこともいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません」とファンや関係者に対して感謝の気持ちを伝えています。■事務所のブログが伝える
さくらももこさんのオフィシャルブログには、「さくらプロダクションからのお知らせです。」というタイトルで、次のような書き込みがありました。
さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
さくらは1984年に漫画家としてデビュー。30周年を迎えた際、次のような言葉があります。「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」(『さくらももこの世界展』「デビュー30周年を迎えて」より抜粋)作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです。■昭和59年に漫画家デビュー
さくらももこさんは静岡県の旧清水市、現在の静岡市清水区出身で、昭和59年に漫画家としてデビューし、昭和61年に代表作「ちびまる子ちゃん」の連載がスタートしました。
「ちびまる子ちゃん」は、さくらさん自身の子どものころがモデルとなっていて、平成2年には民放でテレビアニメ化され、国民的な人気番組となりました。
出版社によりますと、さくらさんは漫画のほかにもエッセーの「もものかんづめ」がミリオンセラーとなったほか、作詞家などとしても幅広く活動していました。
さくらさんの事務所によりますと、平成26年にデビュー30周年を迎えた際、さくらさんは「30年間、良いことも大変なこともいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません」というコメントを出していました。■「ちびまる子ちゃん」は今も、不定期で連載
出版社の集英社によりますと、さくらももこさんの代表作である「ちびまる子ちゃん」は、昭和61年に漫画雑誌「りぼん」で連載が始まりました。
30年余りたった今も、不定期で連載が続いていて、物語として完結はしていなかったということです。
また、さくらももこさんの漫画家としてのデビューは、「ちびまる子ちゃん」の連載が始まる2年前の昭和59年で、「教えてやるんだありがたく思え!」というタイトルの漫画だったといことです。■テレビアニメは30年近く続く
フジテレビによりますと、テレビアニメの「ちびまる子ちゃん」は平成2年1月に放送が始まり、現在まで30年近く続いているということです。
フジテレビは、次回放送予定の来月2日も以降も、放送を続けていくとしています。■「りぼん」編集長「ご冥福をお祈りいたします」
漫画家のさくらももこさんが亡くなったことを受けて、人気漫画「ちびまる子ちゃん」を連載していた集英社の「りぼん」の相田聡一編集長は、「心よりお悔やみを申し上げると共に、ご冥福をお祈りいたします。このたびの早すぎるご逝去を惜しむ気持ちに終わりはありませんが、まるちゃんとその仲間たちの明るい笑顔は、子供から大人まで、読者の皆様の心の中で、いつまでも変わることなく輝き続けます。さくらももこ先生、ありがとうございました」というコメントを出しました。■TARAKOさん「早すぎます」
漫画家のさくらももこさんが亡くなったことを受けて、アニメの「ちびまる子ちゃん」の声優、TARAKOさんは「『ご冥福を』とか言えないです。頭の中がぐちゃぐちゃです。早すぎます。今はただ先生の分身でもある小学三年生の子に、嘘(うそ)のない命を吹き込み続けることしかできないです。ももこ先生は『ありがとう』しかない恩人です」というコメントを出しました。■出身地 静岡市ではまる子ちゃんをPR
さくらももこさんの出身地、静岡市は「ちびまる子ちゃん」の舞台が静岡市だということをアピールしようと、まる子ちゃん一家の「特別住民票」や、さくらももこさんが作詞した踊り、「まるちゃんの静岡音頭」を作ったりして、「ちびまる子ちゃん」と静岡市をPRしてきました。
また、静岡市によりますと今月中には、さくらももこさんがデザインしたマンホールのふたが市内に設置される予定だということです。
静岡市の田辺信宏市長は「突然のことで大変驚いています。静岡市のプロモーションには多大なるご協力をいただき、先日もマンホールを寄贈いただき市民も設置を楽しみにしていたやさきでした。さくらさんは地元のお祭りや動物園が大好きで大変地元愛にあふれた方でした。ご冥福をお祈りいたします」というコメントを発表しました。■JR静岡駅前では悲しみの声
さくらももこさんは、静岡県の旧清水市、現在の静岡市清水区出身です。JR静岡駅前では悲しみの声が聞かれました。
親戚がさくらももこさんと同級生だという男性は、「親しみをもって見ていました。清水を代表する人なので、突然の知らせに驚いています」と話していました。
また、さくらももこさんと同じ短期大学を卒業したという女性は、「亡くなったということはインターネットのニュースで知り、驚いています。出身の短期大学が一緒で、漫画もよく読んでいました。年齢もまだ若く、海外でも人気があったので、まだまだ活躍してほしかったです」と話していました。■ネット上では突然の死を悼む声
漫画家のさくらももこさんが亡くなったことを受けて、ネット上では、突然の死を悼む声が相次いでいます。
このうちツイッターでは、「今年いろんな方が亡くなられたけど、一番衝撃的。ご冥福をお祈りいたします」といった声や、「早すぎます。ビックリです。大好きでした」といった声など、突然の死に衝撃を受けたという投稿が相次いでいます。
また、「自分はコジコジも好きなのよ。もちろんちびまる子ちゃんはうちの娘も大好きだし本当に悲しい。さくらももこさん天国でもずっと書き続けて下さいね」などと「ちびまる子ちゃん」以外の作品やエッセーに触れ、惜しむ声も相次いでいます。■「ケンタくん」も冥福祈る
さくらももこさんの代表作「ちびまる子ちゃん」では、サッカーJ1、FC東京の長谷川健太監督の幼少時代をモデルとした「ケンタくん」が登場します。
長谷川監督はさくらももこさんと同じ静岡県の旧清水市出身で、FC東京を通して「突然の訃報に驚いています。心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントを出しました。■中国でも死を悼む声相次ぐ
漫画「ちびまる子ちゃん」は中国でも人気が高く、さくらももこさんが亡くなったことについて中国メディアは速報で伝えました。
インターネット上ではさくらさんの死を悼む書き込みが相次いでいて、このうち中国版ツイッターのウェイボーでは「私の最愛のちびまる子ちゃん。本当に大好きだった」とか「みんなに喜びや愛をもたらしてくれてありがとう」などといったコメントが寄せられています。
また「子どものときの思い出で、とても悲しい」や「泣きたい」といったコメントに加えて、ロウソクなどの絵文字を添えた書き込みも数多く見られます。■香港でも速報
「ちびまる子ちゃん」は香港でも人気が高く、作者で漫画家のさくらももこさんが亡くなったことについて、メディアは速報で伝えました。
香港各紙はさくらももこさんの略歴や物語の紹介とともに「『ちびまる子ちゃん』はアジアのファンに広く受け入れられた」などと伝えました。
ネット上ではファンから「ちびまる子ちゃんは私たちをたくさん楽しませてくれた。ありがとう」といった書き込みが次々に寄せられています。
香港では1990年代に香港の声優たちによるアニメの吹き替え版の放送が始まって以来、人気が高まり、イベントが開催されたり、文房具などの関連グッズが販売されたりしています。■台湾では実写ドラマも
「ちびまる子ちゃん」は台湾で代表的な日本アニメの1つとして広く愛され、台湾版の実写ドラマが制作されたことがあるほど人気を集めてきました。
作者で漫画家のさくらももこさんが亡くなったことについて、台湾メディアは速報で伝え「台湾の読者の愛は日本に負けない」などと見出しを打ったり「大ファンだった西城秀樹さんを天国でも追いかけているのだろう」と伝えたりして、突然の死を悼んでいました。
「ちびまる子ちゃん」では、主人公などがショックを受けた際に顔に縦線を描いて落胆ぶりを示す表現がありますが、台湾でも若者を中心に日常生活でショックを受けた時に「顔に3本線」ということばが使われるほど、「ちびまる子ちゃん」が広く浸透しています。■「おどるポンポコリン」はミリオンセラー
音楽ソフトの売り上げを調べているオリコンによりますと、平成2年に民放でテレビアニメ化された「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマ曲の「おどるポンポコリン」は、この年だけでおよそ130万8000枚を売り上げるミリオンセラーとなり、シングル曲の売り上げランキングの1位を記録しました。
さくらさんも作詞を担当したこの曲を演奏した「B.B.クィーンズ」は、この「おどるポンポコリン」で紅白歌合戦に出場しました。
オリコンによりますと、27日時点の累計売り上げ枚数はおよそ164万4000枚にのぼっています。■「あなたの作詞作品を歌えてとても光栄です」
さくらももこさんが亡くなったことを受けて、アニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディング曲「おどるポンポコリン」を歌った「B.B.クィーンズ」のメンバーがコメントを発表しました。
このうち、ボーカルを担当した坪倉唯子さんは「あまりに突然の訃報に言葉を失ってしまいました。楽屋に遊びに来てくれたさくらももこさんは、『ちびまる子ちゃん』から飛び出した『まさにまるちゃん!』な第一印象で、『おどるポンポコリン』の歌詞のお話しなどを聞かせて頂いて、とてもシャイな方なんだなあ、、、と思ったのを強くおぼえています。ももこさん、『ピーヒャラピーヒャラパッパパラパー』これからもみんなに楽しんでもらえるように大切に歌っていきます。あなたの作詞作品を歌えてとても光栄です。心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。
また、ボーカルとギターを担当した近藤房之助さんは「まさにB.B.クィーンズを生み出していただいたと言っても過言ではないさくらももこ先生には本当に感謝してもしきれるものではありません。いまだに音楽活動をさせていただいているのも『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマだった「おどるポンポコリン」にB.B.クィーンズの一員として参加させていただいたからで、それまでアンダーグラウンドの場で活動していた僕を、ほんのひとときでもメインストリームの場に押し上げていただいたことで、僕の事を知ってくれた数多くの方がいてくれたからだと思っております。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」とコメントしています。
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180827/k10011596071000.html
・さくらももこ:Wikipedia
・さくらももこさん死去 まる子声優TARAKO沈痛「早すぎます」
『ちびまる子ちゃん』の作者として知られる漫画家・さくらももこさんが、乳がんのため、15日に死去した。53歳だった。訃報を受け、主人公まる子の声優・TARAKOが故人を偲び、コメントを寄せた。報道各社に送られたFAXには「TARAKOさんは、この訃報に大変気を落とされているため、上記のコメントを持ちまして、直接の取材はご遠慮いただきますようご協力をお願い申し上げます」とつづられている。以下、コメント全文。
■声優・TARAKOコメント
『ご冥福を』とか言えないです。
ただただ、頭の中がぐちゃぐちゃです、はい。
病気だったこととか、本当になにも知らなくて
ごめんなさいしかないですごめんなさい。
早すぎます。
まだまだやりたいこといっぱい、いっぱいあったと思います。
ずっとお会いしてなかったので、私の中のももこ先生は、ずっと小さくて可愛くてまあるい笑顔のままです。
今はただ先生の分身でもある小学三年生の子に、嘘のない命を吹き込み続けることしかできないです。
ももこ先生へ
私がそっちにいったら似たような声でいっぱいいっぱいお喋りしてくださいね。
そちらで楽しいこといっぱいいっぱいして下さいね。
優子ちゃんに会ったらよろしくです。
ももこ先生は「ありがとう」しかない恩人です。
・昭和の日常描く「ちびまる子ちゃん」 平成を駆け抜けた
国民的な人気アニメ「ちびまる子ちゃん」を生んだ漫画家のさくらももこさんが乳がんで亡くなった。日曜夜の放送開始から28年。原作のシリーズ累計発行部数は約3200万部に達する。昭和の時代の個人的な経験が色濃くにじんだ作品は、多くの人に愛されて平成という時代を駆け抜けた。
「ちびまる子ちゃん」は、1970年代の静岡県清水市(現静岡市清水区)に暮らす山口百恵好きのおっちょこちょいな小学3年生・まる子が主人公。いつも味方になってくれる祖父の友蔵(ともぞう)や酒好きの父ヒロシ、叱り役のお母さん、ドライな性格のお姉ちゃんらの3世代6人家族に、親友のたまちゃん、お金持ちでキザな花輪クン、学級委員になることに全てをかける丸尾君ら個性的なクラスメートが加わって繰り広げる昭和のほのぼのとした日常を描く。連載は86年に始まり、90年のアニメ化で爆発的な人気に。同年10月に最高視聴率39・9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録するなど、平成のお茶の間で絶大な支持を集めた。
漫画などのサブカルチャーに詳しい評論家、中森明夫さんは「平成の初期はバブル崩壊や阪神大震災、オウム事件と暗い話題が多かったが、人々は昭和のように上昇しなくても、身の回りの楽しみ、小さな喜びを見つけていったのではないか。ちびまる子ちゃんはそんな時代を象徴する番組だった。SMAP解散、安室奈美恵引退と続き、平成の終わりを感じる」。
アニメが放送25周年を迎えた2015年、さくらさんは朝日新聞の書面インタビューに答え「こんなに長いこと、(作品を)可愛がっていただけて感謝しかありません」と記していた。「(主人公の)まる子をコツコツと描いてゆきたいし、漫画やエッセーのほか今、歌の作詞の仕事も力を入れてやっています。作詞での音楽活動が広がりつつあり、忙しいけれど楽しい毎日です」ともつづり、「ますます楽しい作品をお届けできるように、私もアニメチームもがんばって創作致します」とさらなる活動にも意欲を見せていた。今年5月には「ちびまる子ちゃん」に度々登場する歌手、西城秀樹さんの死去翌日にブログを更新。「私達の世代にとって秀樹さんは本当にスターでした」などとつづっていた。病気については公表していなかった。
53歳の早すぎる死に、悲しみの声が広がる。アニメでまる子の声を演じる声優のTARAKOさんは「ただただ、頭の中がぐちゃぐちゃです。病気だったこととか、本当になにも知らなくてごめんなさいしかないです。早すぎます。まだまだやりたいこといっぱい、いっぱいあったと思います。ずっとお会いしてなかったので、私の中のももこ先生は、ずっと小さくて可愛くてまあるい笑顔のままです」などの追悼コメントを出した。■さくらさんの出身地でも悼む声
さくらさんの出身地、静岡市清水区にある「ちびまる子ちゃんランド」は、27日も多くのファンらが訪れた。名古屋市から来たちびまる子ちゃんの大ファンという主婦、菊川恵子さん(41)は亡くなったと聞いて「ショックです。本当ですか?」と肩を落とした。
小学生の頃から毎月「りぼん」で読み、アニメも録画して欠かさず見てきたという。「現実味のある世界がモチーフで、親近感があった。寝ながらお菓子を食べたり宿題をさぼってお母さんに怒られたり、自分と照らし合わせられるところが多かった」と語った。
さくらさんの実家は同区で八百屋を営んでいたという。その近くで商店を経営する60代の女性はテレビの速報で訃報(ふほう)を知り、「ももこちゃん、まだ若いのに」と驚いた。
アニメ放映当初、「まる子」が立ち寄る神社や菓子店を見て、「これはあそこだ」と喜んだ。アニメの人気が定着すると「まるちゃんの家はどこですか」と訪ねてくる観光客が増え、さくらさんの実家近くに大型バスが乗り付けることもあったという。「両親やおじいちゃん、おばあちゃんも、よく似ていた。一番身近で、日常の物語だった」と惜しんだ。
via https://www.asahi.com/articles/ASL8W77QDL8WUCLV00W.html
・「コジコジは、コジコジだよ」。名言の数々に、さくらももこさんの哲学が詰まっていた。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/08/27/kojikojiwa-kojikojidayo_a_23510107/
・さくらももこさん死去・りぼん編集長が追悼 一雑誌の枠を越えた
漫画家・さくらももこさんの訃報を受け、代表作「ちびまる子ちゃん」などを連載した少女漫画雑誌「りぼん」(集英社)編集長の相田聡一氏が、故人をしのぶコメントを書面で発表した。
「ちびまる子ちゃん」は「りぼん」1986年8月号より連載開始。相田氏は「たぐいまれなギャグセンスと、親近感あふれる登場人物、そして彼らへ注がれる眼差しの温かさが魅力的で、瞬く間に一雑誌の枠を越える大人気作品となりました。その誕生の舞台となったことは、編集部の大きな喜びです」と功績を振り返る。
享年53歳という早すぎるさくらさんの死に、相田氏は「このたびの早すぎるご逝去を惜しむ気持ちに終わりはありません」とコメント。「まるちゃんとその仲間たちの明るい笑顔は、子供から大人まで、読者の皆様の心の中で、いつまでも変わることなく輝き続けます。さくらももこ先生、ありがとうございました」と感謝をつづった。
また、フジテレビ系で放送されているテレビアニメ版のスタッフも追悼のコメントを発表。「大好きな、大好きな、さくらももこ先生が天国に旅立ってしまいました。もっとさくらももこ先生と一緒に新しい物語や面白い展開を考えていきたいと思っておりましたが、あまりにも早い旅立ちでスタッフ一同、心から悲しく思っております」とつづった。
番組開始から29年が経過。キャストだけでなくスタッフにも、番組当初からかかわる者がいるといい、「日々の制作の中で笑ったり、泣いたり、とても楽しく取り組んで来られたのは、さくら先生が見守って下さっていたからだと思います。これからも私達スタッフ・キャスト一同で、さくら先生が天国で見守って下さることを感じながら、面白い『ちびまる子ちゃん』を制作していきたいと思います。さくらももこ先生、本当にありがとうございました」と感謝を述べている。
株式会社さくらプロダクションによると、さくらさんは、8月15日の午後8時29分に乳がんのため死去。享年53歳だった。
via https://www.cinematoday.jp/news/N0103178
・さくらももこさん死去…記憶に残る偉大な作品の数々
https://matome.naver.jp/odai/2153539256022983301
・【訃報】さくらももこさんへの追悼メッセージまとめ / 各界から悲しみの声が続々
https://rocketnews24.com/2018/08/28/1108359/
・テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』だけじゃない!「さくらももこ」の映像作品
https://matome.naver.jp/odai/2153541289026660601
「ちびまる子ちゃん」の作者で漫画家のさくらももこさんが亡くなった。自身が生まれ育ち、「ちびまる子ちゃん」の舞台になっている静岡をこよなく愛したさくらさん。近年は静岡市のプロモーション活動にも積極的に取り組み、8月には、ちびまる子ちゃんを描いた2つのマンホールの蓋を静岡市に寄贈したばかりだった。
富士山をバックにちびまる子ちゃんを描いたマンホールの蓋。赤い帽子バージョンと黄色い帽子バージョンの蓋がそれぞれ一つずつ計2つが静岡市に寄贈された。市によると、寄贈はさくらさん側から申し入れがあったという。デザイン化が流行りにもなっているマンホールの蓋。人気作品をデザインしたマンホールの蓋はほかでも見られるが、作家側が発案し、デザイン化して自治体に寄贈するケースはあまり聞かない。市によるとさくらさんは寄贈にあたりこんなコメントを寄せたという。
「マンホールの蓋に色んなデザインがある事を知り、静岡にまる子のマンホールがあれば可愛いなと思い、静岡市さんにご相談させて頂きました。今回、『お茶、富士山、駿河湾』をコンセプトに、2つのマンホールが出来ました。静岡市で長く使用して頂けると嬉しいです。そして、静岡市民の皆さんには、いつもあたたかいご声援をいただき、本当にありがとうございます! まる子デザインのマンホールの蓋も、みなさんに喜んで頂けると嬉しいです」
静岡市によると、市とさくらさんとは、2007年に静岡市が都市問題をテーマにした会議を開催した際、静岡市をPRするイラストをさくらさんに相談したことから交流が始まったという。以降、静岡市のシティプロモーションにさくらさんのイラストが使われるようになり、さくらさんも熱心に静岡市のシティプロモーションに取り組んだ。
イラストは、来客者などへの贈答品として市がつくったメモ帳やボールペン、クリアファイルから職員用の名刺まで様々なシーンで使われ、種類も増えて現在は20種類もある。シティプロモーション用のイラストに描かれている少女は、ちびまる子ちゃんに似ているが実はさくらさん本人の自画像とのこと。アジアをはじめ海外でも人気のちびまる子ちゃんだけに、ちびまる子ちゃんを思わせるイラストは多くの人たちの興味をひき、静岡のイメージアップに大いに貢献してきた。
さくらももこさん逝去の報道を受けて、静岡市庁舎や清水港のエスパルスドリームプラザ内にある、ファンの聖地とされる「ちびまる子ちゃんランド」には献花台や記帳台が設けられ、訪れた多くの人たちがさくらさんの冥福を祈った。
25歳の女性は「母親がもっていたマンガの中にちびまる子ちゃんがあって、それがきっかけでファンになりました。さくらさんを尊敬していたので、亡くなったのはとてもショックです」と話していた。
静岡市では、さくらさんから寄贈されたちびまる子ちゃんを描いたマンホールの蓋を、近くJR静岡駅近くの繁華街とJR清水駅西口のマンホールに設置して、さくらさんの思いを市民やファンに届ける予定だ。
via https://thepage.jp/detail/20180829-00000001-wordleaf
・爆笑問題、さくらももことの出会いと感謝を語る 「爆チューはさくらさんのおかげで知られた」
https://sirabee.com/2018/08/29/20161769885/
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-22063.html
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-22064.html
・Twitterで話題!「ちびまる子ちゃんの神回」5選
https://matome.naver.jp/odai/2153570491033543901
・予定を変更『ちびまる子ちゃん』さくらももこさん追悼回に感動の声
https://matome.naver.jp/odai/2153588344499679801
◆さくらももこが遺してくれた数々の名言をもう一度!「オレ達 ただモーレツに生きてるだけさ」あの独特の人生観を振り返る
『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』などの人気作品を生んだ漫画家のさくらももこさんが8月15日に乳がんで亡くなった。享年53。
さくらさんの作品は、可愛らしくてほのぼのしているだけでなく、時にはシニカル、時にはシュール、時にはブラックであり、さらにはバカバカしいものを愛でる楽しさ、好きなことをやり続ける大切さ、独特の人生観などについて伝え続けていた。ここではさくらさんの作品の数々の印象的なセリフを振り返ってみたい。■ぎょっとする子どもの本音 「ちびまる子ちゃん」の名言・珍言
なんの収穫もない行為のむなしさにも気づかずに
生きていけるって すばらしい
~『ちびまる子ちゃん』1巻大みそかに大掃除をするさくら家の人々。案の定、まる子、父・ヒロシ、祖父・友蔵は片付けの途中で大いに遊んでしまう。母・すみれに思いっきり叱られた3人は、自分たちが散らかしたゴミを片付けて「オレたちもやればできる」と大喜び。そのコマに添えられたナレーションがこれ。さりげなさすぎてスルーしてしまいそうになるが、なんとも味わい深い。1巻からこの調子である
よし ブスは無視して美人の方にたよろう
~『ちびまる子ちゃん』3巻静岡のおばあちゃんの家を一人で訪ねようとして迷子になってしまうまる子。涙を流して不安がっていたはずなのに、いきなりむき出しの子どもの本音を読者にぶつけてくるので、思わずこっちがうろたえてしまう。こんなセリフ、少女漫画で誰も見たことがなかったはず。
宿題なんていつでもできるよ
それより今を大切にしなきゃ
~『ちびまる子ちゃん』4巻楽天的で怠け者のまる子の生き方が凝縮された言葉。こんなことを言って、いつもお母さんに叱られているが、まる子の生き方は本当に楽しそうだ。
■名言・珍言に光る脇役たちの魅力
おれはぜんぜんこわくないね
死ぬときゃ死ぬんだ
先のことを悲嘆するより
今 この酒がうまけりゃいいんだ
~『ちびまる子ちゃん』8巻まる子の言動は、おっちょこちょいで軽口ばかりたたいている父・ヒロシそっくり。この言葉には「これがヒロシの人格の全てである」というナレーションが添えられている。全てって……。頼りがいはまったくないけど、立派なことばかり言っている父親よりいいかもね。
未来や過去に束縛される生き方は自然じゃないさ
肝心なのは今なのさ
~『ちびまる子ちゃん』8巻1999年に世界が滅亡するというノストラダムスの大予言にうろたえるまる子たちに、お金持ちの花輪くんがさらりと一言。「明日は自分でつくるものなのさ」というセリフもカッコいい。さくらさんは花輪くんが大のお気に入りだった。
■ひとりの漫画家としての苦悩も名言に
やりたい事がやれない時期は
本当の夢が見つけられる絶好のチャンスです
~『ちびまる子ちゃん』4巻「夏の色もみえない」『ちびまる子ちゃん』の巻末に収録されていた自伝的要素の強い「ももこのほのぼの劇場」のファンという読者も多い。「夏の色もみえない」は高校受験を控えた中3の夏休みの様子を描いた作品。
勉強をしなければと焦りながらも、結局は怠けてしまうわけなのだが、そんなもどかして辛い時期をさくらさんは「夢の育成期間」と呼ぶ。やりたいことがやれる時期は手頃な娯楽でごまかされがちだが、やりたいことがやれない時期はどうしても自分と向き合うことになる。これは子どもも大人も一緒なのかもしれない。私は漫画家になりたい。
他の職業じゃなくて、漫画家になりたい。
……うん、きっとなれる。
これは気のせいなんかじゃない……‼
~『ひとりずもう』下自伝エッセイをコミック化した『ひとりずもう』は、思春期のさくらさんが恋に悩んだり、親友のたまちゃんと将来について語り合ったり、夢だった漫画家に向けてひたむきに走りはじめる様子をリリカルに描いた作品。心配するお母さんに向かって言った「水の泡になってもいいっていう覚悟でやってるんだよっ」というセリフも印象深い。
■「なにがしあわせってそりゃあ」
冗談じゃないよ
わたしの人生はわたしのものだよ
この子の人生とは別モノだからね
でも仲よくしていきたいね
~『ちびまる子ちゃん』12巻まる子がコジコジと一緒に未来の漫画家になった自分に会いに行くエピソード「まる子 じぶんの未来を見にゆく の巻」より。アトリエで生まれたばかりの子どもの世話をしている未来のまる子――漫画家になったさくらさん自身が、コジコジに「子供のために人生ささげるってかんじ?」と聞かれて、きっぱりとこう答える。さくらさんの親子観がよく表れた言葉だ。
りっぱな家もいいけど
なにがしあわせってそりゃあ
みんな元気で楽しく暮らせるってこと
ねーえ
~『ちびまる子ちゃん』1巻「うちはびんぼう」実は祖父が意地悪だったことを明かしていたさくらさんだったが、数々のエッセイなどを読めば、家族の仲は非常に良かったことがうかがい知れる。デビュー直後に発表された「うちはびんぼう」でも、「びんぼう」で「まぬけ」な家族の姿を描きつつ、てらいなく家族への愛情を表している。
■メルヘンチックでブラックな「コジコジ」の名言
コジコジだよ
コジコジは生まれた時から
ずーっと
将来もコジコジはコジコジだよ
~『コジコジ』1巻さくらさんの『ちびまる子ちゃん』に次ぐ代表作が『コジコジ』だった。メルヘンチックなのに、ブラックでシュールなナンセンスギャグが飛び交う独特の世界に、熱狂的なファンも多い。
第1話でテストの点が悪いコジコジが、メルヘン学校の担任教師に「将来一体何になりたいんだ」と問われたときの答えがこれ。コジコジの言葉のあまりの「真理」ぶりに教師は負けを認めてしまう。どんな生き方をしようが、お金があろうがなかろうが、どんな仕事をしようが、自分は自分。何も変わらない。人生を難しく考えすぎる人たちにとっては、すーっと気持ちが楽になる言葉だ(ただし、コジコジの友達の次郎は同じことを母親に言ってぶん殴られた)。飛べない時はゆっくり休めばいいじゃん
仕方ないよ
飛べないんだからさ
~『コジコジ』2巻コジコジが突然飛べなくなってしまったお正月の精・正月くん(お正月が楽しいのは彼のおかげらしい)におくったコジコジの言葉。絶対に休めない日だとわかっているんだけど、無理したってできないものはできない、という正しいアドバイスだ。「休もう」と決意した正月くんは、気持ちが楽になって飛ぶことができるようになった。
は? 役に立つかどうか?
どうでもいいじゃん そんな事
オレ達 ただモーレツに生きてるだけさ
~『コジコジ』3巻カエルのトミーに誘われて田んぼに遊びに来たコジコジたち。しかし、人間のジョニーは田んぼの中で跳ね回るだけのカエルたちの遊びにどうしても意義が見出だせなかった。そんなジョニーにカエルたちが放ったのが上のセリフだ。
意味や意義なんてどうでもいい。他人からどう思われようとも、好きなこと、バカバカしいことを愛してやまなかったさくらさんの生き方がよく表れている。カエルたちの次の言葉もカッコいい。「役に立つかどうかなんてさ あとから誰かが言う事だろ オレたちゃ 誰かの言う事より 自分の事は自分で決めるさ」。■さくらももこさんにとっての「クール」とは
ムダなことをせず
更に他人に迷惑をかけず
自由に自分の人生をのびのび生きるのが
クールといえるかもな
~『コジコジ』4巻さくらさんの親友だった作家の吉本ばななさんは、さくらさんのことを「だれよりもクールで楽しいことが大好きだった人」と振り返っている(note 9月2日)。さくらさんは『コジコジ』で「クール」をこのように定義していた。きっと、自ら「クール」であることを意識していたのだろう。そして、天真爛漫でマイペースでムダなことばかりしているように見えるコジコジは、実は誰よりも「ムダがない」、つまり「クール」な存在なのだ。
わたしは一生バカだよ
バカは死ぬまで治らないんだから
そうと決まればバカとして
明るく元気に生きてゆくしかないよ
~『ちびまる子ちゃん』12巻開き直りのようだが、とても清々しく聞こえる言葉だ。まる子は無理やり賢くなろうなんて思わず、バカを貫いて漫画家になり、日本全国を明るくほのぼのとした、時折ダークでひねくれた笑いで包んでくれた。さくらさん、本当にありがとうございました。
◇「さくらももこさん ありがとうの会」 TARAKO、まる子の声でメッセージ
『ちびまる子ちゃん』の作者で、8月15日に乳がんのため53歳で亡くなったさくらももこさんを偲ぶ「さくらももこさん ありがとうの会」が16日、都内で開催。アニメでまる子の声を務めた声優のTARAKOらが出席し、桑田佳祐が同アニメのエンディングテーマだった「100万年の幸せ!!」を献歌として熱唱した。
会はさくらさんの名前にちなんで桜色をテーマカラーとし、多くの人がネクタイやアクセサリーなどにピンク色を取り入れて列席した。TARAKOは「私の人生の半分はまる子でした」と涙声で挨拶。途中で“まる子”の声にスイッチし「3年4組、さくらももこ。通称“まる子”。大人になった私へ。よくぞ夢をかなえてくれました。あんた、ホントえらいよ!」と語り、さらに「天国へ行く私へ。そっちでもたまには『まる子』を描いてよね。ずっとずっと、どこにいても描き続けてください」とメッセージを送った。
TARAKOのほかに、長年にわたり公私で付き合いのあった女優の賀来千香子、デビュー当初に対談して以来、親友として家族ぐるみの付き合いをしてきたという作家の吉本ばななが祭壇の前で、さくらさんとの思い出や感謝の思いを語った。
桑田佳祐は、さくらさんが作詞し、2012年4月から2017年10月までアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマに起用されていた『100万年の幸せ!!』を生で歌唱。以前から桑田の大ファンだったというさくらさんが、直々に手紙でエンディングテーマを依頼して誕生した同曲だが、桑田は最初の手紙にすでに歌詞とタイトルが記されていたことを明かし「(歌詞)指定かよ! すげーなぁ…と思った(笑)」と笑いながら明かし「先生、ありがとうございました」と祭壇に向かって深々と頭を下げた。
この日は、声優やアニメ、出版関係者などおよそ1000人が献花に来場。さくらさん作詞のヒット曲『おどるポンポコリン』を歌唱したB.B.クィーンズや爆笑問題の太田光、和田アキ子、ゴールデンボンバー、パパイヤ鈴木、市村正親、GLAYのTERU、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉らも姿を見せた。[2018.11.16]
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◆TARAKOさんの弔事の詳細
TARAKOさんの弔辞 pic.twitter.com/jXLoXWU3jA
— ささみ (@sasami0011) 2018年11月16日
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TARAKOさんは「今日は泣かないって決めてきたのに」と話し出すと声を詰まらせた。
「私の人生の半分はまるちゃん。ももこ先生がいなかったら私の人生変わっていた。
まる子が売れるまでずっとバイトをしていて貧乏は得意だったけど
本当にももこちゃんの声と似ていて幸せでした」と話した。
さくらさんと歌手のイルカと、声の似た3人で
オールナイトニッポンにラジオ出演した当時を振り返り
「しゃべったら誰の声だか分からない」と笑い
「似てるってこんなに幸せでありがたくてグッとくるものなんだなと
ももこちゃんが教えてくれました」と語った。
途中で「私はプライベートのももこさんを知らないので
この人が一番知っているんじゃないか」と切り出すと
まる子になりきって語りかけた。
「3年4組、まる子。大人になった私へ。よくぞ夢をかなえてくれました。
あんた本当にエライよ、おめでとう。
プライベートはなんかいろいろあったみたいだね。でもあんたの作品も
あんたもたくさんの人に愛されたんだから、人生バランスなのかもしれないね」。
「大人になって天使になった私へ。
そっちはどうだい?今日は絶対こっちをウロウロしているよね。
桑田(佳祐)さんがいるけど、しがみついちゃダメだよ」。
「大人になって天使になって天国へ行く私へ。
そっちでもたまにまる子書いてよね。どこにいてもずっと書き続けて
生まれ変わってもずっとちっちゃくてまあるくておっちょこちょいで
プリンが好きで百恵ちゃんが好きでマンガが大好きな、さくらももこです」。