北海道胆振地方を震源とする最大震度7の地震で道全域が停電し多くの商業施設が休業した6日、道内に1100店舗(8月末現在)あるコンビニエンスストア「セイコーマート」(札幌市)は95%以上の店舗が営業を続け、被災直後の道民の生活を支えた。運営会社セコマによると、停電に備えた端末や対応マニュアルがあり、これまでの災害で見直しを重ねてきたことが生かされた。
セコマの説明では、地震後に営業を停止したのは約50店。未明の地震で街灯や信号機が消え真っ暗になる中、営業していた店のレジには市民が長蛇の列を作り、パンや電池、飲料などを買い求めていた。
コンビニチェーン店は停電でレジが使えず、休業したところが多かった。一方でセコマによると、同社は停電の際は車を使って最低限の電源を確保することがマニュアル化されている。更に、近くに車が置けない場合やガソリンがない場合を想定し、電気や通信回線が使えなくても使える小型会計端末を全店舗に配布していた。
停電などに備えたマニュアルは、道内の暴風雪被害や東日本大震災、2016年の台風被害などのたびに見直しを重ねてきた。
また、特徴である店舗内で調理した弁当などの商品を提供する「ホットシェフ」で、おにぎりなどを提供している店舗もあった。多くの店舗にガス釜があり、停電中も炊飯が可能だったという。
これらの動きに、ネット上では「神対応」「さすが道民のセコマ」と称賛する投稿が相次いだ。
人口密度が低く少子高齢化も著しい道内は、商店街の衰退やスーパー撤退が進み身近にあるコンビニ店が重要なライフラインとなっている地域が少なくない。
セコマは道や道内各地の自治体との間で、災害時に食糧や応急生活物資を供給する協定を結んでおり、今回も地震直後からパンや飲料水、菓子類などを提供した。
一方で地震により札幌市の物流センターの設備が一時損傷。食品製造工場の稼働が一時停止し、店内の商品棚がほぼ空っぽになったこともあった。
11日までに通常の納品量に戻り店内の様子も通常に近づいたが、棚の一部には空いたスペースも見られる。同社は「商品の量は回復してきているので、買いだめなどの心配をしないよう協力してほしい」と呼びかけている。
via https://mainichi.jp/articles/20180917/k00/00e/020/125000c
事件
関係者によりますとオウム真理教の元代表の麻原彰晃、本名 松本智津夫死刑囚(63)に、6日死刑が執行されたということです。一連の事件では13人の死刑が確定していましたが、執行されたのは初めてです。
オウム真理教の代表だった松本智津夫死刑囚は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こした首謀者とされ、平成7年に始まった教団に対する強制捜査で施設に潜んでいるところを逮捕されました。
裁判で松本死刑囚は無罪を主張しましたが、次第に意味のわからない発言を繰り返すようになりました。
平成16年2月、1審の東京地方裁判所は、「一連の事件の首謀者として極限の非難に値する」として死刑を言い渡しました。
2審では弁護団が「裁判を受けられる精神状態ではない」として必要な書面を出さなかったため法廷が開かれないまま裁判が打ち切られ、平成18年に死刑が確定していました。
その後、松本死刑囚の弁護団が再審・裁判のやり直しを求める申し立てを行っていました。
オウム真理教による一連の事件では、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭い、松本死刑囚など教団の幹部ら13人の死刑が確定していましたが、執行されたのは初めてです。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化しましたが、ことし1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなりました。
ことし3月に13人のうち7人が東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、執行の時期が焦点となっていました。■松本智津夫死刑囚とは
オウム真理教の代表だった麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚(63)は教団による一連の事件を主導したとして死刑が確定していました。
昭和59年ごろに宗教やヨガのサークル「オウム神仙の会」を開いた松本死刑囚は、昭和62年に「オウム真理教」を名乗り、最終戦争が近づいているとして信者の危機感をあおって武装化を進めました。
しかし、平成7年3月の地下鉄サリン事件の後、警察の強制捜査を受け、2か月後に教団施設の隠し部屋に潜んでいるところを逮捕されました。
裁判では地下鉄サリン事件をはじめ、松本サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件など合わせて13の事件で殺人などの罪に問われました。一連の事件で死亡した人の数は29人にのぼっています。
松本死刑囚は「自分は一切指示していない」などと無罪を主張しましたが、1審の東京地方裁判所は、平成16年2月、「一連の事件の首謀者として極限の非難に値する」として死刑を言い渡しました。
2審では弁護団が「裁判を受けられる精神状態ではない」として必要な書面を出さず、裁判所が法廷での審理を行わずに裁判の打ち切りを決めたため、平成18年9月に死刑が確定しました。
その後、松本死刑囚の弁護団が再審・裁判のやり直しを求める申し立てを繰り返し行っていますが、いずれも退けられています。
松本死刑囚は東京拘置所に収容され、平成18年に裁判所の依頼で接見した精神科医の意見書では、独り言を繰り返す以外は無言で、入浴や運動には拘置所の職員の介助が必要だとされていました。
また関係者によりますと、ここ数年は家族や弁護士が面会に来ても応じず、口を閉ざして意思の疎通ができない状態が続いていたということです。
松本死刑囚が公の場に姿を現したのは平成16年の1審判決の時が最後でした。■オウム真理教とは
オウム真理教は、昭和59年に麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚が東京で開いたヨガと宗教のサークル、「オウム神仙の会」から始まりました。昭和62年には「オウム真理教」と名乗るようになり、神秘体験などを通じて信者を急速に増やしていき、平成元年に東京都から宗教法人として認められました。
教団は信者の財産をお布施として納めて出家するよう強く勧め、施設で共同生活を送らせていましたが、信者の親との間でトラブルが相次ぐようになりました。
平成元年11月、親たちの相談に応じていた坂本堤弁護士の一家の行方がわからなくなり、関与が疑われましたが、教団は「関係ない」と主張しました。
平成2年には松本死刑囚らが衆議院選挙に立候補しましたが惨敗し、この直後からハルマゲドン、最終戦争が近づいていると強調し、信者の危機感をあおっていきました。
その後、山梨県の旧上九一色村のサティアンと呼ばれる施設で急速に武装化を進め、ひそかにサリンを製造しました。平成6年6月、最初の無差別殺人となる松本サリン事件を起こし、8人が死亡、140人以上が被害を受けました。平成7年2月には、東京の公証役場の事務長だった假谷清志さん(当時68)を拉致する事件を起こし、教団への捜査が本格化しました。
そして強制捜査が迫った平成7年の3月20日、地下鉄サリン事件を起こしました。13人が死亡、負傷者はおよそ6300人にのぼる未曽有のテロ事件でした。その2日後、全国の教団施設に一斉に警察の強制捜査が入りました。
2か月後、松本死刑囚は教団施設の隠し部屋に潜んでいるところを逮捕されました。幹部らも次々と逮捕され、教団による一連の事件は終わりましたが、一部の信者は逃亡を続けました。
しかし平成23年にオウム真理教による一連の事件の裁判がすべて終わると、特別手配されていた3人のうち、平田信受刑者が警視庁に出頭しました。平田受刑者は、逃亡中、14年余りにわたって東大阪市のマンションで元信者の女性にかくまわれ、ほとんど外に出ずに生活していました。
出頭した理由については、裁判の中で、「松本死刑囚以外の死刑囚に対する執行はかんべんしてほしいという気持ちがあり、自分が出頭すれば執行が延びると思った」と話しました。その出頭の半年後、17年にわたって逃亡し、教団とは無関係の男性と東京や神奈川県で暮らしていた女性の元信者が通報を受けて逮捕されました。
さらに高橋克也受刑者もその12日後に逮捕されました。建設会社で働いていた高橋受刑者は女性の元信者の逮捕を知って社員寮から姿を消しましたが、防犯カメラに映った写真が次々に公開されて追い詰められ、東京の蒲田駅近くで逮捕されました。コインロッカーに入れていたバッグの中からは松本死刑囚の本や写真、説法が録音されたカセットテープが見つかりました。
特別手配されていた3人が逮捕され、警察の強制捜査から17年余りかかって一連の事件の捜査が終わりました。平田受刑者と高橋受刑者はその後有罪が確定し、女性の元信者は無罪が確定しています。
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011513621000.html
・麻原彰晃:Wikipedia
オウム真理教の一連の事件で死刑が確定した13人のうち、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚ら教団の元幹部7人に死刑が執行されました。
死刑が執行されたのはオウム真理教の代表だった松本智津夫死刑囚(63)のほか、いずれも元幹部の早川紀代秀死刑囚(68)、井上嘉浩死刑囚(48)、新実智光死刑囚(54)、土谷正実死刑囚(53)、中川智正死刑囚(55)、遠藤誠一死刑囚(58)の合わせて7人です。
オウム真理教は平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や、平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭いました。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、裁判で13人の死刑が確定しました。このうち松本死刑囚は5月、教団の施設に潜んでいるところを逮捕されました。
裁判では無罪を主張しましたが、次第に意味のわからない発言を繰り返すようになりました。
平成16年2月、1審の東京地方裁判所は「一連の事件の首謀者として極限の非難に値する」として死刑を言い渡しました。2審では弁護団が「裁判を受けられる精神状態ではない」として必要な書面を出さなかったため法廷が開かれないまま裁判が打ち切られ、平成18年に死刑が確定していました。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化しましたが、ことし1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなりました。
ことし3月、13人のうち7人が東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、執行の時期が焦点となっていました。
一連の事件で死刑が執行されたのは初めてです。■死刑執行された7人 教団で高い地位
今回、死刑が執行された7人はいずれも教団の中で高い地位にありました。
オウム真理教は麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚(63)をトップに、日本やアメリカの制度をまねた省庁制度を教団の中に作りました。
この制度では、松本死刑囚のもとに「法皇官房」や兵器を開発する「科学技術省」などが置かれ、大臣や次官には幹部が任命されました。
今回執行された7人のうち松本死刑囚以外の6人はいずれも「大臣」でした。
早川紀代秀死刑囚(68)は施設の建設などを担当する「建設省」、井上嘉浩死刑囚(48)は非合法活動を行う「諜報省」、新実智光死刑囚(54)は警備を担当する「自治省」、土谷正実死刑囚(53)は「第二厚生省」、中川智正死刑囚(55)は松本死刑囚や家族の身の回りの世話をする「法皇内庁」、遠藤誠一死刑囚(58)は「第一厚生省」の大臣でした。
オウム真理教による一連の事件を発生当初から取材してきたジャーナリストの江川紹子さんは「今回の執行は、教団のトップと『大臣』を中心に執行したとみることもできる。教祖と側近が一緒に執行されたことで、側近が最期まで一緒だったという神格化につながりかねない」と話しています。■7人の死刑囚が関わった事件
7人の死刑囚は、坂本弁護士一家の殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件のいずれかに関わりました。■坂本弁護士一家殺害事件
坂本弁護士一家の殺害事件は平成元年11月に起きました。オウム真理教の信者を家族のもとに返す活動をしていた坂本堤弁護士(当時33歳)と妻の都子さん(当時29歳)、長男の龍彦ちゃん(当時1歳)の3人が横浜市のアパートから姿を消し、部屋の中からオウム真理教のバッジが見つかりました。
平成7年3月に教団への強制捜査が始まり、今回執行された7人とは別の死刑囚の供述に基づいて9月に長野、新潟、富山の山の中で一家3人が遺体で見つかりました。
この事件は麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚が指示し、早川紀代秀死刑囚、新実智光死刑囚、中川智正死刑囚など、合わせて6人の死刑囚が関わりました。■松本サリン事件
松本サリン事件は平成6年6月に長野県松本市で起きました。裁判官の官舎を狙って市街地で猛毒の化学兵器、サリンがまかれ、8人が死亡、140人以上が被害を受けました。
この事件には松本死刑囚のほか、新実死刑囚、土谷正実死刑囚、中川死刑囚、遠藤誠一死刑囚など、合わせて7人の死刑囚が関わりました。■地下鉄サリン事件
地下鉄サリン事件は平成7年3月に起きました。多くの通勤客が利用する東京の地下鉄を狙って猛毒のサリンがまかれた未曽有のテロ事件で、13人が死亡、被害を受けたのはおよそ6300人にのぼりました。
地下鉄サリン事件には松本死刑囚のほか、井上嘉浩死刑囚、新実死刑囚、土谷死刑囚、中川死刑囚、遠藤死刑囚など、合わせて10人の死刑囚が関わりました。■関連施設は大きな混乱なし
東京都内には、オウム真理教から名前を変えた「アレフ」や「アレフ」から分裂した団体の施設が数か所あり、警視庁は東京拘置所も含めて、警察官や機動隊員を派遣して警戒に当たっています。これまでのところ、大きな混乱はないということです。
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011514211000.html
・早川紀代秀:Wikipedia
・井上嘉浩:Wikipedia
・新実智光:Wikipedia
・土谷正実:Wikipedia
・中川智正:Wikipedia
・遠藤誠一:Wikipedia
オウム真理教の一連の事件で死刑が確定していた6人の死刑が執行されました。教団の元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人には今月6日に刑が執行されていて、教団に対する強制捜査から23年余りがたって、13人の死刑囚全員に刑が執行されました。
死刑が執行されたのは、岡崎一明死刑囚(57)、横山真人死刑囚(54)、端本悟死刑囚(51)、林泰男死刑囚(60)、豊田亨死刑囚(50)、広瀬健一死刑囚(54)の6人です。
オウム真理教は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や、平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭いました。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた松本元死刑囚など13人の死刑が確定しました。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化しましたが、ことし1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなりました。
その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、今月6日、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に刑が執行されました。
ほかの6人は、東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていましたが、法務省によりますと、26日午前、刑を執行したということです。
教団に対する強制捜査から23年余りがたち、教団の死刑囚全員に刑が執行されました。■林死刑囚とは
林泰男死刑囚(60)は、昭和63年に出家した古参の幹部で、教団の「科学技術省」次官として、施設の電気工事などを行っていました。
平成6年の松本サリン事件では、サリンをまく車の製造に関わりました。13人が死亡、およそ6300人が被害を受けた平成7年の地下鉄サリン事件では、日比谷線にサリンの入った袋をほかの実行犯より1つ多く持ち込み、その車両では8人が死亡するという最も大きな被害が出ました。
林死刑囚は事件のあとも1年半以上、逃亡を続けましたが、平成8年12月に沖縄の石垣島で逮捕されました。
裁判では事件に関わったことを認め、平成20年に死刑が確定しました。
平成27年には逃亡を続けていた元信者の高橋克也受刑者の裁判で、地下鉄サリン事件の当時の状況を証言しました。
林死刑囚は事件の2日前に教団の幹部から実行役を打診された時の心境について、「断ったらやばいと感じた。自分の家族に危険が及ぶかもしれないし、麻原彰晃、本名、松本智津夫元死刑囚に『教団を出たらポアする』と言われていた」と説明しました。
そして、「事件で被害を受けられた皆様におわび申し上げます」と謝罪の言葉を述べました。
林死刑囚は事件後に名字を小池に変えていました。■岡崎死刑囚とは
岡崎一明死刑囚(57)は、最古参の幹部の1人で、一連の裁判で最も早く死刑が確定していました。
岡崎死刑囚は昭和60年にオウム真理教の前身の宗教やヨガのサークル「オウム神仙の会」に入り、その後「オウム真理教」と名前を変えた教団の中で、新たな信者の獲得や組織の拡大に関わってきました。
教団による事件では、信者を家族のもとに返す活動をしていた坂本堤弁護士一家の殺害や教団信者の殺害に加わったとして起訴され、裁判では反省の言葉を述べました。
2審の判決のあと、NHKに届いた手紙には「弟子の多くは麻原以外になにも考えられない環境になっていきました」などと、閉ざされた教団の中で犯罪を重ねたことを悔いる言葉も記されていました。
最高裁判所は「残忍な犯行に加わった責任は極めて重い」として、平成17年に死刑を言い渡し、教団による一連の裁判で初めて死刑が確定しました。
岡崎死刑囚は裁判中に死刑囚の支援活動をしている寺の住職と養子縁組を結び、名字を宮前に変えました。支援者の話では、収容されている拘置所の部屋に坂本弁護士一家の名前を書いた札を貼り、繰り返し祈っていたということです。■横山死刑囚とは
横山真人死刑囚(54)は、大学の工学部を卒業したあと、就職した企業を辞めて、昭和63年にオウム真理教に入りました。
教団では「科学技術省」に所属し、自動小銃の密造などに関わりました。地下鉄サリン事件では、5人の実行犯のうちの1人として、地下鉄丸ノ内線の車内でサリンをまきました。
裁判で横山死刑囚や弁護士は「サリンの毒性を知らず殺意はなかった」と主張するとともに、自分がサリンをまいた車両で死者が出なかったことなどを理由に刑を軽くするよう求めましたが、1審と2審で死刑を言い渡されました。
横山死刑囚は裁判の途中から法廷でなにも述べなくなり、平成19年、地下鉄サリン事件の実行犯で初めて死刑が確定しました。■端本死刑囚とは
端本悟死刑囚(51)は、昭和63年、大学2年生の時に友人から教団の話を聞かされたのをきっかけに入信しました。
平成元年、オウム真理教の信者を家族のもとに返す活動をしていた坂本堤弁護士一家の殺害事件に実行犯として加わりました。
当時の心境について、平成15年にNHKに寄せた手紙では「試練を与えて弟子の帰依を培う修行だと思いました」と振り返っていました。
事件のあと、いったんは教団から脱走しましたが「麻原を信じなくなったら、事件がただの殺人になってしまう」と思い、結局、教団に戻ったということです。
そして、8人が死亡し、140人以上が被害を受けた平成6年の松本サリン事件では、サリンをまく車を運転しました。裁判では「麻原ではなく自分の感性を信じるべきだった」と述べました。
1審と2審は、従属的な立場だったことや事件への反省を踏まえても刑事責任は極めて重大だとして死刑を言い渡し、平成19年、松本サリン事件の実行犯で初めて死刑が確定しました。■豊田死刑囚とは
豊田亨死刑囚(50)は、東京大学に在学中の昭和61年ごろに入信し、大学院で物理学を学んだあと、平成4年に出家しました。
教団では薬物や武器の研究や密造に関わり、サリンなどの実験のために教団がオーストラリアに作った研究室には、豊田死刑囚の名前がつけられていました。地下鉄サリン事件では、5人の実行役の1人となり、日比谷線の車内でサリンをまきました。
裁判では、被害者に謝罪したうえで、「すべてを話したい」と述べ、教団の実態や事件のいきさつを明らかにしました。また、証人として麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚が法廷に呼ばれた時には、「教団の今の信者たちは現実から逃げている松本死刑囚の姿をよく見たほうがいい。これ以上過ちを繰り返さないでほしい」と述べました。
弁護側は「マインドコントロールによって正常な判断ができなくなり、松本死刑囚の指示に逆らえなかった」などと主張しましたが、1審と2審で死刑を言い渡され、確定しました。
その後、元信者の高橋克也受刑者の裁判では証人となり、高橋被告と一緒にサリン事件の指示を受けたことなどを証言しました。
事件で駅員の夫を亡くした高橋シズヱさんとは、かつて、手紙をやり取りしたことがあり、法廷で表情を変えなかった理由を明かしました。手紙では、「遺族や被害者の方々の不快感や怒りを増大させるような言動をつつしむことが最低限の態度だと考え、結果として感情が表れないという印象を与えることになってしまったかもしれません」などと説明し、「全く申し訳ないことだと考えています」と謝罪していました。■広瀬死刑囚とは
広瀬健一死刑囚(54)は、早稲田大学の大学院で物理学の研究をしていた昭和63年に教団に入信し、内定していた企業に就職せずに出家しました。
平成2年の衆議院選挙では、麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚らとともに立候補しましたが、落選しました。その後、教団の「科学技術省」次官として自動小銃の製造などに関わりました。
地下鉄サリン事件では、5人の実行役の1人となり、丸ノ内線の車内でサリンをまきました。裁判では「人々が救済されると信じてサリンをまいたが、被害者や社会に大きな迷惑をかけて大変申し訳ない」と謝罪しました。
弁護団は「マインドコントロールで正常な判断ができない状態になり、松本死刑囚の指示に逆らえなかった」と主張しましたが、平成21年に死刑が確定しました。
広瀬死刑囚はNHKに送った手紙の中で、「地下鉄にサリンをまけという指示も救済としか受け取れなかった。愚かにも殺人というイメージがわかない状態だった」と振り返っています。また、平成27年に開かれた元信者の高橋克也受刑者の裁判でも「教団の教えに従い、人々の救済だと思ってサリンをまいたが、独善的な考え方にとらわれていた」と述べていました。■高橋シズヱさん「事件風化しないよう訴えていく」
地下鉄サリン事件で駅員の夫を亡くし、被害者の会の代表を務めている高橋シズヱさんは「けさも死刑囚のことを考えていたところだったので、突然の執行に胸がドキドキして混乱していますが、相次ぐ死刑の執行で、改めて事件の大きさや重さを実感しています。林死刑囚は高橋克也受刑者の裁判で姿を見た時、落ち着いた様子で死刑を覚悟しているように感じていました。死刑が執行されても被害者や遺族にとっては、事件にケリがつくというものではありません。今後も事件が風化しないよう訴えていきたいです」と話していました。■江川紹子さん「衝撃を受けている」
オウム真理教による一連の事件を発生当初から取材してきたジャーナリストの江川紹子さんは「前回に続いて立て続けに死刑が執行されたことに、驚きとともに、当局の強い意思のようなものを感じる。心理や宗教、テロなどの専門家がオウム事件を分析するなど、執行以外のアプローチが必要ではないかと訴えてきた。オウムのためにまた人の命が奪われ、衝撃を受けている」と話しています。■永岡さん「腹立たしさを感じる」
信者の家族で作る「オウム真理教家族の会」の代表として信者の脱会を支援してきたほか、みずからも猛毒のVXをかけられ一時意識不明になった永岡弘行さん(80)は「麻原以外の死刑囚はマインドコントロールされて事件に関わってしまった人たちであり、自分は親のような気持ちで接してきた。それなのに今回死刑が執行されたことに腹立たしさを感じている」と話していました。■滝本弁護士「松本以外無益」
教団からの信者の脱会を支援し、みずからも信者から襲撃されたことがある滝本太郎弁護士は、「松本智津夫元死刑囚の死刑執行は当たり前だが、ほかの12人については、非常に無益だ。あの事件は、松本元死刑囚の指示・命令に従って起きたもので、ほかの12人は、マインドコントロールによる集団的な拘束力によって実行していた。12人は生かしておいて、その後の気持ちの変化を話してもらうことが、同様の事件の再発防止やオウムを潰すことに役立つはずだった」と述べました。
そのうえで、「特に若い人はオウム事件は過去のものだと考え、風化が進んでいくだろう。同じことが起きないように、どのような事件だったかを繰り返し伝えていくことが必要だ」と指摘しました。
滝本弁護士は、法務省が松本元死刑囚の遺骨の引き渡しを検討をしている四女の代理人を務めていますが、松本元死刑囚の妻と四女以外の4人の子どもも遺骨の引き渡しを求めています。
滝本弁護士は、「執行直前の松本元死刑囚は非常に静かだったと刑務官から聞いた。遺骨については、20日経った今も東京拘置所にある状態で、なにも進展していないので不安を感じている」と話していました。■支援団体「今後も被害者の支援続けたい」
地下鉄サリン事件の被害者の心のケアなどを続けているNPO法人「リカバリー・サポート・センター」の木村晋介理事長は「来るべき時が来たと受け止めている。しかし、死刑囚にも家族がいることを考えると何とも言えない気持ちになる。広瀬死刑囚の母親に会った時、母親は『小さいころから利発で優しい子だった』と話していて、今回死刑という話を聞くと母親の顔が思い浮かぶ」と話していました。
そのうえで、「全員の死刑が執行されてもオウム事件は終わりではない。事件から23年がたった今も体や心の不調に苦しむ被害者は少なくない。死刑執行のニュースでさらに気持ちがざわつく方もいるので、今後も被害者の支援を続けていきたい」と話していました。■坂本弁護士と同期 中村弁護士「短期間は想定せず」
教団に殺害された坂本堤弁護士と同期で、「オウム真理教犯罪被害者支援機構」の副理事長を務める中村裕二弁護士は「わずかな期間に13人の死刑囚全員に刑が執行されることは想定していなかった。これだけ多くの死刑執行は国際的にも批判があるかもしれないし、日本の死刑制度について議論する契機になるのではないか」と話していました。■警視庁元幹部「執行は妥当」
当時、警視庁捜査1課の理事官として捜査の指揮にあたった山田正治さんは「事件の実態解明のために信者の死刑執行は待つべきだという意見もあるが、松本サリン事件から20年以上がたち、警視庁や専門家が調べを尽くしてきたことからも、今回の死刑執行は妥当だ。さらに言えば、遺族や被害者の苦しみや悲しみを思うと執行は遅すぎる」と話しました。また、一連のオウム事件を振り返り、「事件ではマインドコントロールの怖さを痛感した。松本元死刑囚のことを信じ込んでしまうと人をだまして金を奪ったり、人を殺してしまったりすることさえもためらわない怖さだ。今の時代を生きる若い人たちもマインドコントロールの怖さをいま一度考えてほしい」と指摘しました。
■上祐代表「賠償に努める」
オウム真理教の元幹部で、信者どうしの対立から新たに「ひかりの輪」を設立した上祐史浩代表は「よりいっそう被害者の皆さまへの賠償に努めるとともに、事件の再発防止に努めていきたい」とするコメントを出しました。
via https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180726/k10011549511000.html
・岡崎一明 :Wikipedia
・横山真人 :Wikipedia
・端本悟 :Wikipedia
・林泰男 :Wikipedia
・豊田亨 :Wikipedia
・広瀬健一 :Wikipedia
・平成のうちに終止符…オウム真理教の残る死刑囚6人の刑が執行された
https://matome.naver.jp/odai/2153256720019836301
・日本震撼、オウム事件全史 写真特集
https://www.jiji.com/jc/d4?p=aum995&d=d4_aum
フランスの首都パリで26日、建物5階のベランダからぶら下がっていた4歳児を、移民の男性が素手でベランダまでよじ登って救出するという出来事があったことを受け、エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領は28日、この男性に市民権を与えると発表した。
マリ出身で昨年9月にフランスにやって来たというマムドゥ・ガサマ(Mamoudou Gassama)さん(22)の、スパイダーマン(Spiderman)さながらの救出劇を捉えた動画はソーシャルメディア上で拡散し、再生回数は数百万回に上っている。それから2日を経た28日、ガサマさんはエリゼ宮(Elysee Palace、大統領府)に招かれ、マクロン大統領と面会。
国民的英雄となったガサマさんの滞在許可に言及したマクロン大統領は、「書類はすべて整う」と約束した。
面会の様子は、大統領のフェイスブック(Facebook)ページ上で生配信された。その中で大統領は、ガサマさんの勇気をたたえてメダルを授与し、消防機関での仕事も提案した。
半袖のシャツにジーンズ姿のガサマさんは救出劇を振り返り、「何も考えていませんでした。すぐさまよじ登りました」と話すと、マクロン大統領は「ブラボー」と称賛した。
ガサマさんはメダルを受け取った後、「このような栄誉ある品をもらったのは初めてでうれしい」と喜んだ。[2018.05.28]
via http://www.afpbb.com/articles/-/3176313
・パリの「スパイダーマン」が救助した少年の父、ポケモンGOで帰宅が遅れていた
フランス・パリ北部で、マンション5階のベランダから転落しそうになっていた4歳の男の子を、22歳の移民男性がまるでスパイダーマンのように素早く壁をよじ登って救出した。パリ検察によると、男の子の父親はスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」をしていて帰宅が遅くなったという。CNNなどが報じた。
「事件」が起きたのは、5月26日午後8時ごろ。マンション5階のバルコニーの手すりに、男の子が両手で必死にしがみついていた。
いつ落下してもおかしくない状況で、事態が緊迫する中、西アフリカ・マリ出身のマムドゥ・ガサマさんがさっそうと現れた。ガサマさんは地上から瞬く間に壁をよじ登り、あっという間に5階まで到達。男の子を救出することに成功した。
男の子の母親はフランス領レユニオン島に住んでおり、父親がパリで男の子の面倒を見ていたという。当時、マンションに父親は不在だった。検察によると、父親は買い物に出かけており、戻る途中に「ポケモンGO」をプレイしたために帰宅が遅くなったという。
BBCによると、父親は子どもを監督せず放置したとして、2年以下の禁錮や3万ユーロ(約370万円)以下の罰金を科せられる可能性がある。
男の子を助けたガサマさんは28日、エマニュエル・マクロン大統領と面会。ガサマさんは認められた期間を過ぎて不法に滞在していたが、勇敢な行動が称えられ、特別に滞在許可を与えられるという。消防士の仕事も約束された。
via https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/30/real-spider-man-in-paris_a_23446492/
◆What Happened In Japan After The Tsunami?
via https://rocketnews24.com/2018/03/11/1030259/
・東日本大震災から7年…地震の犠牲者に追悼の声が相次いでいる
https://matome.naver.jp/odai/2152072036727605701
・【3.11特集】東日本大震災を生き抜いた人々の感動エピソード5選に涙が止まらない! 「見えない存在」の助け、命を懸けた救助…!
http://tocana.jp/2018/03/post_16245_entry.html
・サンドの2人を復興支援に動かしたカフェ
http://blogos.com/article/282876/
・震災から7年もいまだ仮設住宅での避難生活7万人以上~不透明な状態が続く生活再建の行方
http://blogos.com/article/282947/
・震災後 サンドウィッチマンがネタで使わなくなった『言葉』に、ハッとする
2018年3月11日に放送された『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演した、お笑いコンビのサンドウィッチマン。
7年前に東北で起きた東日本大震災をきっかけに、変化した考えかたや行動について語りました。■震災から7年を経て
共に宮城県仙台市出身で、震災当日も宮城県気仙沼市でロケをしていたという2人。震災直後から積極的に被災地を訪れ、さまざまな支援活動を行ってきました。
サンドウィッチマンが開設した被災地への義援金口座『東北魂義援金』には、7年間でおよそ4億円の義援金が集まっています。
そういった現状を受け、番組内でサンドウィッチマンの伊達みきおさんは「それだけたくさんの人に協力していただいたからには責任があるし、ちゃんとやりたい」とコメントしました。■ネタ中に使わなくなった言葉
番組で共演した糸井重里さんに「震災後、お笑いの面で気を付けたことはあるか」と問われた伊達さんは、次のように告白。いまだからいえることだと、実は僕らのネタってあの、「死ぬ」っていう単語が結構出てくるんですよ。それは、やめましたね。
震災後しばらくは、ネタ中に「死ぬ」という言葉を使わないようにした理由を「簡単にはその言葉を出せないと思ったし、僕らの中でもいいたくなかった」と語る伊達さんに、相方である富澤たけしさんもうなずきました。
■友人との「またいつか」をやめた
さらに伊達さんは、震災をきっかけにやめたことの1つに「友人とのあいまいな約束」を挙げます。僕なんかは、友達とかと「じゃあ今度飯行こうね」なんていう、いつ行くか分からないような約束するじゃないですか。「今度会おうね」みたいな。
そういう時は、必ず会うようにするようになりました。「会えなくなるような気がして。何があるか分からないから」と続ける伊達さん。伊達さんによると、東北では震災後、同窓会を開催する人たちがとても増えたのだそうです。
■復興のゴールとは
7年経ったいまも、明日があるか分からないという危機感が常にあるというサンドウィッチマンの2人。
震災をきっかけに、伊達さんは午前3~4時ごろまで眠れなくなったエピソードを明かし、富澤さんは外出する際に食料や飲み物を持ち歩かないと不安になるという現状を語りました。
番組内で糸井さんから「復興のゴールはあるのか」と問いかけられた2人は、首を横に振ります。
伊達さんは「震災を知らない世代が立て直していくんでしょうね」とつぶやき、何十年後の未来に思いをはせました。
被災地への活動を行う中で、さらに地元への愛が深まったというサンドウィッチマン。被災地に人を呼びこみ、盛り上げていく活動は今後も続けていくつもりだといいます。
サンドウィッチマンの震災に対する考えや行動に、ネット上ではさまざまなコメントが寄せられました。・2人の話を聞いていて、7年間で危機感が薄れていったことに改めて気付かされた。
・分かる。震災後、遠方の友達には積極的に会いに行くようになった。
・復興のゴールはどこなのか…。重いけれど、少しずつでも近付いていると思いたい。震災から7年という時が経ったいまも、以前のような生活を送れないまま暮らしている人たちはたくさんいます。
震災の爪あとは、被災地で暮らす人の生活だけでなく、心にもなお残り続けているのです。
いまの私たちにできることは何か…と、改めて考えさせられます。
via https://grapee.jp/467189
■イオン前で地震発生~津波襲来(宮城県多賀城市)
宮城県多賀城市のイオン前。仙台港から100mほど内陸に入ったところにある。大地震発生後に屋外に避難した人々が、遠くに津波が襲来しているのを見て、「上がって!」と叫ぶとともに、車が流されている光景を見て悲鳴を上げる。
このような市街地は、周囲に高い建物がない地域に比べると避難できる商業施設などがあるため、恵まれているかもしれない。市街地で津波に襲われそうになったら、とにかく高い建物に上ることだ。
■仙台港近くのオフィスで地震に遭遇(宮城県仙台市宮城野区)
この映像は津波ではなく、地震発生時のものだ。仙台市宮城野区の仙台港近くにあるオフィスで撮影された。東北地方太平洋沖地震では、仙台市宮城野区で震度6強を記録したが、撮影者は「大地震だ!」と叫びながらも撮影の手を止めず、結果的に貴重な映像となった。頑丈そうなビル内とはいえ、勇気を振り絞っての撮影だったに違いない。その後、屋外に出て、外の状況も撮影されている。撮影者は、津波が襲来した際には同ビルの階上に避難したものと思われる。
■仙台空港の滑走路に津波が襲来(宮城県名取市)
海上保安庁音仙台空港基地の保安官による、津波襲来直後の無線での報告。仙台空港の滑走路まで津波が押し寄せた光景を撮影している。多くの自家用車や小型飛行機が流されていく。
撮影者と思われる保安官が、「ここも危ないですが逃げようがありません。今2階にいますけれど、どうなるかわかりません」と伝える。その後に保安官らは、2階にいても身の危険を感じ、屋上へと避難して全員無事だったという。
■高台から津波の襲来を眺める人々(宮城県気仙沼市本吉町前浜地区)
映像の開始時点で、すでに津波が襲来している。津波が軽々と堤防を超える様子を見て、撮影者の男性は「あぁ、もうダメだ」「ここまで来ないか?」などとつぶやく。その後、撮影者も危険を感じて、より高台へと避難を始めた。
気仙沼市の死者数は1,000人以上と、大震災で3番目に多かった。震災後、国は同市に高さ9.8mの防潮堤を約1kmにわたって築くという案を示した。しかし地元住民からは、白砂青松で知られる海水浴場が消えてしまうと反発の声が上った。巨大防潮堤の建設によって赤土が流出し、陸と海が分断され、カキの養殖などの漁業にも悪影響が出るという。大震災を契機に、各地で防潮堤建設ラッシュが始まり、「日本中の海岸が壁で覆われる」といった声も上っているが、必ずしも住民たちがそれを望まないケースもあるようだ。
■石巻ガス本社屋上から津波を撮影(宮城県石巻市明神町)
宮城県石巻市明神町の石巻ガス本社の屋上から撮影された映像。石巻港に押し寄せた津波によって、車が次々と流されていく。「これでは終わりだな」「ここもヤバイよ」「友だちが心配だー」といった声が上がる。その後、撮影者を含む人々は、建物の屋根の上へと避難した。周囲を見渡した光景を見ると、撮影者のビルより高い建物はほとんどないようだ。多くの人々が、高台に避難できずに命を落としたと推測される。
石巻市では、東日本大震災で最大となる3,200人以上の命が失われた。この映像から得られる教訓は、海沿いの土地で暮らすか働いている場合は、津波襲来に備えて避難する場所を特定しておくべきということだ。
■消防団員が避難を呼びかけながら撮影(岩手県陸前高田市)
消防団員が撮影した映像。周囲の人々に「逃げろ、逃げろ!」と呼びかけながら、自らも車に乗り込んで避難する。恐らくスマホで撮影を始め、運転中もハンドルを握りながら撮り続けたのだろう。時には画面が横になったり逆さになったりするが、撮影が続けられた結果、後世に伝えるべき貴重な映像資料が残った。
「(津波が)堤防を超えて来たから逃げろ」と拡声器を使って繰り返すが、道行く人々の多くは、後ろを振り向きながら普通の速度で歩き、緊迫感があまり感じられない。震災時には、約2kmにわたり高さ5.5mの防潮堤があったが、津波で全壊し、市役所などがある市街地は壊滅した。もしかすると、消防団員が切羽詰まった声で呼びかけても、急ぐそぶりを見せなかった人々の中には、防潮堤の存在を信頼しきっていて、津波を堤防が超えることなどありえないと疑っていた人もいたのだろうか。
陸前高田市では、宮城県石巻市に次ぐ1,500人以上の死者が出た。今年1月には、高さ12m、全長2kmにわたる新しい防潮堤が完成した。だが、防潮堤が高くなったからといって、それに全幅の信頼を置いてはならないだろう。東日本大震災では、高さ12mを超える津波に襲われた地域も多かったのだ。
via http://tocana.jp/2017/03/post_12573_entry.html
◆東日本大震災公開動画検索システム
http://311movie.irides.tohoku.ac.jp/SearchPage;jsessionid=1B869D823096381B34A0AF5CD88E6C2A?0
◇震災から6年…まだまだ続く行方不明の捜索と復興の現状
https://matome.naver.jp/odai/2148917695866245301
・【3.11】「復興したとはまだ言えない」 東日本大震災から6年、気仙沼の街はいま
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/11/kesennuma-city-311_n_15291180.html
・【東日本大震災特集】まだ語られていない課題、知られていない話がある
https://www.buzzfeed.com/ryoyamaguchi/311-2017?utm_term=.ww0yqeeDL#.yig2kOOeG
・あの日、津波で亡くなった娘へ 父が贈るあたたかく、少しふしぎな手紙
https://www.buzzfeed.com/satoruishido/3-11-suzuki-san?utm_term=.txqdGRR3w#.ibjAnggQw
・冷酷すぎる! 安倍首相の3.11会見打ち切りで露わになった政権の東日本大震災“被災地”切り捨ての姿勢
http://lite-ra.com/2017/03/post-2984.html
◇栄村大震災とは? 3.11翌日の震度6強 「忘れられた被災地」の現状は
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/11/sakaemura-daishinsai_n_15306046.html
21日午前10時35分ごろ、東大阪市小阪1の近鉄奈良線河内小阪駅で、女性が線路内に立ち入り、駅を通過する神戸三宮行き快速急行にはねられ、死亡した。この事故の影響でダイヤが乱れたが、河内小阪駅より奈良側の東花園駅(東大阪市)で対応に当たっていた男性車掌(26)が客と口論となり、制服上着と制帽を投げ捨てて線路内に侵入するトラブルがあった。車掌はその際に腰椎(ようつい)を骨折した。
近鉄によると、河内小阪駅での事故後、奈良線を走る電車が一時運転を見合わせるなどした。車掌が乗務する電車は東花園駅で運転中止になり、車掌もホームで乗客への状況説明などに当たったが、その際に乗客と言い争いになり、線路に降りていったという。
東花園駅は高架にあり、車掌は線路上を歩いた後、高架から数メートル下の地上に飛び降り、救急車で病院に運ばれた。近鉄は「不適切な行動を引き起こし、心よりおわびします」としている。[2016.09.21]
via http://mainichi.jp/articles/20160921/k00/00e/040/242000c
・http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/20/kintetsu_n_12111748.html
・http://togetter.com/li/1027118
バングラデシュの首都ダッカの飲食店で1日夜(日本時間2日未明)に発生した武装集団による人質・立てこもり事件で、菅義偉官房長官は2日深夜、安否不明となっていた日本人の男性5人、女性2人の計7人の死亡を確認したと発表した。事件では特殊部隊が2日朝、突入作戦を敢行し、日本人男性1人を含む人質13人を救出したが、20人が死亡した。
過激派組織「イスラム国」(IS)が2日、インターネット上で犯行声明を出し、5人の戦闘員が「十字軍の兵士」22人と警官2人を殺害したと主張した。バングラデシュ政府当局は、日本人ら外国人を巻き込んだテロ事件の背景や実行犯の動機などについて捜査を進める。
武装集団は「神は偉大なり」とアラビア語で叫び、飲食店を襲撃した。その際、日本人8人は食事中だった。日本政府高官は「バングラデシュ政府の説明では、7人は治安部隊の突入前に殺害されており、突入時の被害ではない」と指摘した。
8人は国際協力機構(JICA)のプロジェクトに関わっていた。救出されたのは建設コンサルタント会社「アルメックVPI」(東京都新宿区)の渡辺玉興さん。日本政府によると、渡辺さんは被弾して治療中だが、生命の危険はない。
菅長官によれば、ダッカの日本大使館関係者が午後6時40分(日本時間同9時40分)ごろ、遺体の搬送された病院で写真や所持品などから7人の身元を確認した。7人の氏名について菅長官は「家族の了承を得ていない」として公表しなかった。
バングラデシュ軍スポークスマンは「遺体の多くが鋭利な武器で残忍に切り付けられていた」と述べた。同国のハシナ首相はテレビ演説で、「極めて凶悪な行為」と非難し、「テロを根絶する決意だ」と語った。
イタリア外務省によると、イタリア人9人も犠牲になった。AFP通信によれば、米国人1人、インド人1人も死亡した。
ハシナ首相はインドのテレビに「武装勢力6人を殺害し、1人を逮捕した」と説明。襲撃の際に警官ら少なくとも2人が死亡した。[2016.07.03]
via http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070300014&g=isk
・ダッカ襲撃、人質20人死亡 全員外国人 バングラ軍発表
http://www.cnn.co.jp/world/35085257.html?ref=rss
http://www.mirror.co.uk/news/world-news/bangladesh-terror-attack-gunmen-shouting-8331590
・PHOTOS: ISIS Releases Pictures Of Hostages Killed In The Bangladesh Dhaka Cafe Slaughter
https://www.zerocensorship.com/t/isis/isis-isil-daesh-releases-pictures-of-hostages-killed-in-the-bangladesh-dhaka-cafe-slaughter-287418
・ダッカで銃撃、20人人質か 「イスラム国」が犯行声明
http://www.sankei.com/world/news/160702/wor1607020008-n1.html
・銃撃戦1時間…あられのような弾丸 制圧作戦100人以上投入
http://www.sankei.com/world/news/160702/wor1607020065-n1.html
・「コーラン暗唱できぬ人に拷問」現地メディア報道
バングラデシュの首都ダッカのカフェで起きた人質立てこもり事件で、現地の英字紙デーリー・スター(電子版)は2日、救出された人質の父親の話として、犯人グループが人質に対してイスラム教の聖典コーランの一節を暗唱するよう求め、言えなかった人は「拷問された」と伝えた。
人質の父親によると、犯人グループは、人質が信仰する宗教をチェックするためにコーランを暗唱させていた。バングラデシュ人に対しては乱暴な振る舞いをせず、食事も出していたという。
via http://www.sankei.com/world/news/160702/wor1607020070-n1.html
・「私は日本人。撃たないで」 店外に響いた悲痛な叫び
イスラム教のラマダン(断食月)の夜、バングラデシュの首都ダッカにある飲食店が武装グループに襲撃された。一夜明けて治安当局が突入、武装グループは制圧されたが、店内で人質になっていたとみられる複数の日本人と連絡が取れないことが判明。「信じがたい…」。現地の邦人社会には衝撃と動揺が広がり、日本政府や会社などは情報収集に追われた。
日本人ら外国出身者に人気の飲食店「ホーリー・アーティザン・ベーカリー」に武装した男たちが押し入ったのは、現地時間の1日午後9時ごろだった。
現地報道などによると、武装グループは店の出入り口を封鎖し「アッラー・アクバル(神は偉大なり)!」と叫びながら発砲。爆発物を投げ、店内を制圧した。スタッフら10人以上が建物の階段を上がり、屋上から飛び降りるなどして逃げ出したが、多くの客は人質にとられた。
飲食店の隣に住むレストラン経営の女性(49)は発砲音で異変に気づいた。窓から様子をうかがうと、駆け付けた警察官と武装グループが銃撃戦を展開していた。
周囲は暗く、詳しい様子は分からなかったが、銃声の中で懇願するような男性の声が聞こえてきた。
「アイム・ジャパニーズ、ドント・シュート(私は日本人です、撃たないで)」。女性は産経新聞の取材に、「まるで戦争のようだった」と話した。
近所の男性は銃撃戦を動画で撮影した。「3分ほど前から始まった。とても大きな音。ああ、まだ続いている」。動画の中の男性は恐怖で声を震わせていた。
現地新聞などの報道によると、双方の発砲は徐々に散発的になり膠(こう)着(ちゃく)状態に陥った。
店内に取り残されたウエーターは、親族への電話で自身の周囲に複数の遺体が横たわっていると伝え、「人質は危険な状態。武装グループは『警察が発砲した場合は殺す』と言っている」。家族連れで飲食店を訪れ人質になった男性はおじに電話をかけ「お願い、助けて」と訴えた。
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)系メディアは、武装グループが殺害したとする遺体の画像を配信。武装グループは人質全員にコーランを暗唱するよう求め、暗唱できた者には危害を加えなかったという。
死傷者が出た治安当局側は午後11時ごろ、いったん距離を置き、銃撃や爆風に備え防弾チョッキやヘルメット、重火器をかき集めた。2日未明、武装グループとの接触を試みる一方、突入に向け装甲車の手配など準備を進めた。
午前4時45分ごろ、治安当局関係者がジャーナリストらに対し、飲食店から離れるよう要請。その約3時間後、治安部隊は装甲車を配置した上で、自動小銃などを持った隊員たちが突入した。
銃声と爆発音が響く中、顔や衣服が血まみれになった隊員らが最前線から後退する場面も。現場にいた警察官の一人は「あられのような弾丸と手投げ弾に見舞われた」と話した。
次々と人質が救出されたが、飲食店の中を見たという隊員は「血まみれの人が5人いた。亡くなっていたかは分からない」。その後、飲食店内で多数の人質が死亡していることが判明した。
近所の女性は「家族連れも多く、みんなの憩いの店だった。ここでこんなことが起きるなんて…」と絶句した。
via http://www.sankei.com/affairs/news/160702/afr1607020050-n1.html
・【バングラデシュ人質事件】「日本人7人の死亡を確認」菅官房長官が発表
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/02/bangladesh-japanese-dead_n_10784666.html
・日本人7人含め20人が犠牲…バングラデシュのテロは最悪の結末を迎えた
http://matome.naver.jp/odai/2146749523452197801
・バングラデシュでの外国人を狙ったテロの背景
http://blogos.com/article/181900/
・許せない…日本人を襲った「バングラテロ」の悲劇
http://matome.naver.jp/odai/2146752131273121001
・急襲、晩さんが暗転 富裕層使う人気店 バングラ テロ
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG02H6U_S6A700C1CR8000/
◇バグダッドで自爆テロ ISが犯行声明、少なくとも80人死亡、160人が負傷
イラクの首都バグダッドで2度の爆発があり、少なくとも80人が死亡、160人が負傷した。テレビ局「スカイ・ニュース・アラビア」が伝えた。
1つ目の爆発があったのは、バグダッド中心部の商業地域。自爆テロ犯が商店やレストランの近くで自動車を爆発させた。
テロ事件は、イスラム教徒にとって神聖な月ラマダンが山場を迎え、信者たちがお祝いに向けて買い物をしている時に起こった。
2つ目の爆発は、バクダッド北部シャアブ地区にある市場の近くで発生した。
テロ組織「ダーイシュ(IS、イスラム国)」が犯行声明を出した。[2016.07.03]
via http://jp.sputniknews.com/incidents/20160703/2415369.html
イラクの首都バグダッドで3日、自動車爆弾による自爆テロがあり、AFP通信によると、少なくとも75人が死亡、130人以上が負傷した。過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した。イラクではISによるテロが頻発しているが、1回の爆発でこれほどの犠牲者が出るのは異例。
爆発があったのは、商店が集まるカラダ地区にある飲食店付近。6日ごろ始まるイスラム教のラマダン(断食月)明けの祝祭日を前に、買い物で多くの人が集まっていた。
ISは声明で、自爆犯の名前を挙げ「(イスラム教)シーア派の集まりの中で車を爆発させた」と主張した。ISはシーア派を敵視し、バグダッドなどで同派の住民を標的にテロを繰り返している。
イラク治安部隊は6月26日、ISが活動拠点としていたバグダッド西方50キロのファルージャを全面的に制圧した。奪還作戦に際してISの抵抗は限定的で、多くの戦闘員が民間人に紛れて潜伏し、テロや襲撃を続けるのではないかと懸念されていた。
via http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070300118&g=int
・http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/03/baghdad-bomb_n_10792806.html
・繁華街の自爆テロ、死者125人に バグダッド
イラクの首都バグダッドの繁華街で起きた爆発による死者は少なくとも125人、負傷者は147人に上ったことが分かった。過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が犯行声明を出している。
バグダッド中心部のカラダ地区で2日夜、トラックを使った自爆テロが発生した。死者の中には子ども25人、女性20人が含まれている。イラクで起きた1回の攻撃による死者としては、この数年で最も多い人数となった。
この日はイスラム教のラマダン(断食月)最後の週末に当たり、断食明けの祝日に向けた準備などで多くの人が街に繰り出していた。トラックは喫茶店や小売店、スポーツジムなどが入った建物に突入した。
ISISは、ラマダン期間中にテロ攻撃を激化させると表明していた。バングラデシュの首都ダッカで1日夜に起きたレストラン襲撃事件でも犯行声明を出した。
現場で遺体の収容作業を見ていた学生(25)は複数の友人が亡くなったり行方不明になったりしていると嘆き、「政府と政治家はISISなどのテロ組織を非難するばかりだが、もうたくさんだ。解決策が必要だ」と語った。
アバディ首相はテロを卑劣な攻撃と非難し、3日間の服喪期間を発表。自ら現地へ出向いて被害状況を調べた。ソーシャルメディアに投稿された動画には、首相が市民から「どろぼう」「帰れ」という声を浴び、物を投げ付けられる場面が映っている。
首相は、市民の反応も理解できると話したうえで、遺族らを慰めるために現場を訪れたと強調。ISISについては、イラク側が中部ファルージャを奪還した喜びを「乗っ取ろうとしている」と非難した。
バグダッドでこれまで数年間に続発した自爆テロの実行犯は、1時間ほどの距離にあるファルージャからやって来るケースが多かった。イラク当局は先週のファルージャ奪還に際し、これでバグダッドのテロも収まるとの見通しを示していた。
米ホワイトハウスは「今後もイラク治安部隊による奪還作戦を支援し、ISISの掃討を続行する決意を新たにした」との声明を出した。
国連児童基金(ユニセフ)は声明で「イラクでの暴力が悪化するなか、最も大きな犠牲を払っているのは子どもたちだ」と指摘した。
アバディ首相は今回の攻撃を受けて、各地の検問所に設置された爆弾探知機の回収を命じ、探知機購入をめぐる不正疑惑を改めて捜査するよう指示を出した。同国では2010年、当局が購入した爆弾探知機の一部が偽物だったことが判明して問題となった経緯がある。
via http://www.cnn.co.jp/world/35085275.html?ref=rss
◆JR九州 「九州新幹線全線開業CM」 特別篇 180秒ver
・熊本地震で復旧時期は未定… 今「九州新幹線 全線開業CM」を観ると泣けてくる
http://spotlight-media.jp/article/271488955754639247
・九州新幹線CM、再び話題に 「また笑顔が見たい」2つの震災励ます
http://withnews.jp/article/f0160418003qq000000000000000W00810401qq000013302A
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ベルギーのブリュッセル空港で22日午前7時45分(日本時間同日午後3時45分)ごろ、爆発が起きた。その約1時間半後、ブリュッセルの地下鉄駅でも爆発が発生。ベルギー公共放送によると、空港で14人、地下鉄駅で20人の計34人が死亡した。ベルギー検察は、空港での爆発が「自爆テロ」との見方を示し、公共放送RTBFは地下鉄駅では爆弾が爆発したと伝えた。
過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した。
AFP通信によれば、重傷者を含め200人以上が負傷しており、犠牲者はさらに増える恐れがある。ミシェル首相は国営テレビを通じ、「暴力的で卑劣な攻撃」と糾弾。ベルギー政府は爆発を受け、テロ警戒レベルを最高の4に引き上げ、3日間を国民服喪の日とすると発表した。
在ベルギー日本大使館は、爆発に巻き込まれた日本人がいないか確認を急いでいる。
空港での爆発は出発ロビーで発生。地元メディアによると、何者かがアラビア語で叫んだ後に発砲音がし、その後に2回の爆発が起きたとみられ、ロビーではカラシニコフ自動小銃も見つかったという。
空港の建物からは煙が立ち上り、現場に居合わせた人は地元メディアに「爆発で地面に投げ出され、天井が崩れ落ちてきた」と語った。RTBF(電子版)は、空港の監視カメラで撮影した3人の容疑者とみられる男の写真を掲載。このうち2人が自爆し、1人が逃走したと報じた。[2016.03.23]
via http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2016032200634&m=rss
BBC.com
・【ブリュッセル連続攻撃】なぜこの町が標的に
BBC.com
・ベルギー連続テロ】難民の少年が掲げた被害者への哀悼のメッセージに心が痛む
http://irorio.jp/sousuke/20160323/309892/
◇ベルギーテロの追悼集会で衝突… 移民の是非で割れるベルギーの現在。
http://matome.naver.jp/odai/2145913525389347101
via http://intrendio.com/new-photos-from-fukushima-paint-a-dire-picture-of-the-clean-up
http://spotlight-media.jp/article/254793616658337467
◆あれから5年…東日本大震災を乗り越えた”被災地の今”
http://matome.naver.jp/odai/2145689882429016301
◆復興への遠い道のり 6年目を迎える福島県浜通りのいま
http://thepage.jp/detail/20160310-00000006-wordleaf
◆福島第一原発の悲劇は原子力発電に終止符を打たなかった
http://jp.sputniknews.com/opinion/20160311/1758619.html
◆【写真特集】忘れられる「フクシマ」、変わりゆく「福島」
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/03/post-4692.php