今季限りでの退団を発表したバルセロナのスペイン代表MFアンドレス・イニエスタは、「キャリア最高の瞬間」としてバルサでのデビュー戦を選んだ。スペイン紙『マルカ』などが伝えている。
現地時間27日に会見を開いたイニエスタは、今季終了後にバルサを退団することを発表した。バルサの“黄金時代”を支えた中心選手がまた一人去ることになる。
1996年にバルサ下部組織に入団して以来、イニエスタは22年間をこのクラブで過ごしてきた。トップチームでは約15年半を過ごし、8回のリーガエスパニョーラ優勝や4回のチャンピオンズリーグ(CL)優勝など計31のタイトルを獲得している。
だがキャリア最高の瞬間として挙げたのは、そのいずれの勝利でもない。「たくさんの魔法のような瞬間を過ごしてきたので、ひとつだけを選ぶのは難しい。ブルージュでのデビューの日のことは永遠に忘れないだろう。トップチームでの最初の1日だ。僕にとって一番意味のある瞬間だった」とイニエスタは語った。
イニエスタは18歳だった2002年10月29日、CLグループステージのクラブ・ブルージュ戦でバルサのトップチームにデビューした。現在に至るまでに、MFシャビ・エルナンデスに次ぐクラブ歴代2位の669試合に出場している。
via https://www.footballchannel.jp/2018/04/28/post267360/
バルセロナのスペイン代表MFアンドレス・イニエスタが現地時間27日、今季限りでの退団を明言した。クラブ公式ツイッターが記者会見の様子を伝えている。
イニエスタは涙ぐみながら「これが僕にとってここでの最後のシーズンになる」と、バルセロナからの退団を公言。そして、「チームメイトに感謝を伝えたい。バルセロナは僕に全てを与えてくれた。ここで22年間を過ごし、それは誇りに思うもの」と感謝の意を述べた。
エルネスト・バルベルデ監督やチームメイトも出席した会見では、神妙に聞き入りながらも節目では大きな拍手が送られた。クラブ関係者と目されるなかには、涙ぐむ人の姿も見られた。
また、去就については「ヨーロッパではない。シーズンが終わった時に話す」と、明確には口にせず。スペインメディアでは、中国の重慶力帆が有力候補として挙げられていたが、イニエスタの言葉からそれを否定する材料はなかった。
クラブ公式ツイッターでは、その後もイニエスタの背番号「8」を横向きにして「∞(無限大)」のマークにし、イニエスタの業績を称賛。下部組織でプレーしていた若き日の映像を交え、「秀逸」「エレガント」「走り続ける男」「恥ずかしがり屋」「夢を見る男」「よく教育された人物」「模範的」「成熟された」「競争力がある」などといった数々のワードを用いてイニエスタとの別れを惜しんだ。
下部組織への加入が1996年、トップチームでのデビューが2002年、常にバルセロナのユニフォームを身につけてきた男は、あと数カ月でクラブを去る。バルセロナにとっては一時代の終焉であり、イニエスタの存在を痛感する時がこれから何度も訪れるはずだ。[2018.04.27]
via https://www.football-zone.net/archives/100453
◆イニエスタ、バルサ国王杯4連覇に涙 去就で重大発言「今週、決断を発表する」
今季限りでバルセロナを退団し、中国移籍が噂されているスペイン代表MFアンドレス・イニエスタが国王杯優勝を果たした試合後、自身の去就は今週中に決定すると発表した。スペイン紙「スポルト」が報じている。
イニエスタも出場したセビージャ対バルセロナの国王杯決勝はウルグアイ代表FWルイス・スアレスの2得点やアルゼンチン代表FWリオネル・メッシのゴールなどで5-0と圧勝。スタメン出場のイニエスタも後半7分にネットを揺らし、カップ戦4連覇達成に貢献した。
試合終了間際、イニエスタはMFデニス・スアレスと途中交代。ピッチを離れる際にはスタジアムから万雷の拍手が鳴り響いた。
優勝決定後、イニエスタは目に涙を浮かべた。授賞式でトロフィーを掲げたキャプテンは「今週、僕の決断を発表する」と語った。中国への移籍が噂されて注目を集める司令塔の去就が決まるのは間もなくのようだ。
「チームにとっても個人的にも本当に素晴らしい夜だった。これは僕らが愛していたタイトルだ。後味を良いものにするためにもここにリーグタイトルを加えてシーズンを終えられるようにしたい」
生え抜きとしてバルセロナ一筋を貫いてきた偉大なキャプテンはどのような進路を選ぶのか。発言に今後も注目が集まりそうだ。[2018.04.22]
via https://www.football-zone.net/archives/99569
・イニエスタがバルサ退団を発表。メッシすら及ばない才能とは?
2018年4月27日。アンドレス・イニエスタが今シーズン限りでFCバルセロナ(以下バルサ)を退団することを発表した。移籍先はまだ決まっていない。「バルサとは戦わない」。それだけが条件だ。
「僕は自分を絞り出したと思う。バルサのために出し尽くす。それは幸せな日々だった。人生の順番で、そのとき(退団)がやってきたのさ」
イニエスタは会見でそう振り返っている。
ラ・リーガ優勝8回、スペイン国王杯優勝6回、チャンピオンズリーグ優勝4回、クラブワールドカップ優勝3回。数々の栄光に浴したが、意外にも個人賞は目立ったものはない。リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウドと比べたら、雲泥の差だ。
その点、イニエスタの偉大さを説明するのは難しい。
フットボーラー。
そう評するしかないだろう。フットボールをする。その点で、リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドをも凌ぐ、完全無欠のフットボーラーだった――。
■イニエスタとは何者だったのか?
スペインの首都マドリードから南西にあるアルバセテ。その田舎町で、イニエスタは8才にしてフットボーラーとして頭角を現している。まだよちよちとし、ボールのほうが大きく見えたが、いざグラウンドで球体に触れると、異彩を放った。入団テストの日、周りの子どもたちがいくら挑みかかっても、まったくボールを奪えない。
「その子はいいから。ピッチから出しなさい。もう、見る必要はないよ」
当時、アルバセテのコーチは言い、わずか5分で入団が決定した。
そして12歳のとき、イニエスタの名前は関係者の間で広まり、名門バルサからスカウトを受け、入団を決意している。もっとも、当初は田舎から都会に引っ越し、本人は環境の変化を受け入れられなかった。家族や友人が恋しく、毎晩のように泣いていたという。
「大袈裟に聞こえるかも知れないけど、ラ・マシア(バルサの下部組織)に入団したときは、人生最悪の日だったと思う。見捨てられ、迷子になったような感じかな。今までずっと両親がそばにいてくれたのに、それがいなくなってしまって。将来のためにって、来るのを決めたのは自分自身だったんだけど、本当に辛い日々だった」
イニエスタ本人の回顧である。
■王になる選手
生活面は適応するのに時間はかかったが、ピッチでは傑出していた。誰も敵わない。無敵の存在だった。背は小さく、体も細く、顔は青白く、病人のようにすら見えるのに、誰もが翻弄された。
「俺はおまえに引退させられる。しかし、おまえはアンドレスにいつか引導を渡されるだろう。アンドレスは王になる選手だ」
日本で言えば、まだ中学生だったイニエスタのプレーを目にしたジョゼップ・グアルディオラ(現マンチェスター・シティ監督、当時はバルサの選手で後に監督)は、自分の後継者と言われていたシャビ・エルナンデスに予言的にそう伝えたという。グアルディオラも、シャビも、退団は彼らの事情と言えるが、アンドレスがバルサの王位に就いたことは事実である。
イニエスタはまさに、ピッチにおける静かなる王だ。彼がボールを触ることで、プレーの渦が創り出される。敵を引きつけ、なん手も先を見越し、パスを弾く。それは例えば、パスやドリブルがうまい、というレベルではない。周りの選手を活かし、更にその次の選手を活かすような判断を天才的に選べる。そのおかげで、チーム全員が力を得る。イニエスタ一人で二人分の選手ではない。他の10人全員を2割増しにするような感覚だろう。
■ボールが声を出す
「ボールの運命を知っている選手」
イニエスタのプレーはそう説明されるが、ボールと会話し、どこに行くべきか、を直感的に知り、そこに誘える。まるで漫画の世界のような選手だ。
「伝説となっているチェルシーとの(2008-09シーズン)チャンピオンズリーグ準決勝。終了間際にアンドレスは決勝ゴールを決めている。あのとき、俺はたしかにボールの声を聞いたんだ」
バルサでチームメイトだったサミュエル・エトーはそう洩らしている。イニエスタに蹴られたボールが喜びの声をあげた。その瞬間、ネットに入るのも見ずに、エトーはゴールを確信し、歓喜に打ち震えたという。
■フットボールの極意
イニエスタは体格的には恵まれていない。また、足が速いわけでも、力があるわけでもなかった。
それでもプレーを支配することができたのは、空間や時間を自分のものにできたからだ。相手の裏をとれる目と技術を持っており、相手のスピードを、敵の力を容易に奪うことができた。相手の力を利することによって、周りを活かすことで、たちまち優位に立った。
それこそ、フットボールの極意である。
イニエスタは、集団戦であるフットボールを進化、発展させた。それが、真のフットボーラーと言われる所以で、その点、メッシも、ロナウドも及ばない。
たしかに個人賞には恵まれなかった。しかし、本人はそれに何のひがみもやっかみもない。ひたすらチームメイトを祝福する。
そこに、イニエスタのイニエスタ足所以はある。
■世界最高のフットボーラーの人生
「僕は日常で煩わしいことがあっても、ピッチに出てみんなとボールを蹴っていれば、段々と自分がリセットされていく。これは素晴らしい贈り物なんだ」
かつてイニエスタは自身のフットボール哲学をそう語っている。
「贈り物に対しては、なにかを返さなければならない。その使命感はあるけど、緊張することはないね。なぜなら、多くの試合を積み重ねてきて、自分がわくわくしていなければ、良いプレーはできないと確信しているから。僕はピッチで自分を解き放つだけさ。自分はどこまで行っても自分でしかなくて、フットボールを平常心で生きる、というのしかできない」
イニエスタは、誰よりもフットボールに愛されていた。
「もし最後があるなら、こんな最後を求めていた。みんなに必要と思ってもらい、惜しまれるような。12歳で家族と離れたときは辛かったけど、それに値するものだったね」
バルサで過ごした22年間(トップチームは16年)に、最高のフットボーラーであるイニエスタは別れを告げた。会見では記者だけでなく、チームメイトやフロント関係者も同席。気持ちを揺さぶる拍手はなかなか鳴り止まなかった。
via https://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20180428-00084550/
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◆Andres Iniesta ● The Maestro [FC BARCELONA – THE END]
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◆Andres Iniesta – Goodbye Barcelona | Tribute To A Legend HD
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◆Gracias Andrés Iniesta / Thanks Andrés Iniesta #GodBay
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・メッシから盟友イニエスタへ、惜別メッセージ「君は超常現象」
スペイン代表MFアンドレス・イニエスタは27日、涙の記者会見でバルセロナからの退団を発表した。多くのチームメートも駆けつけた会見には出席しなかったものの、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシも自身のインスタグラムを通じて盟友に向けて「君はフェノメノ(超常現象)」など称賛のメッセージを送った。
2002年にバルセロナデビューを果たしたイニエスタと04年デビューのメッシ。10年以上もトップレベルで競演してきた黄金コンビが見られるものついに今季限りとなった。メッシはともにUEFAチャンピオンズリーグ優勝トロフィーを掲げている写真など4枚のツーショットを公開し、「アンドレス、ありがとう」と切り出して惜別のメッセージを綴っている。
「あなたの隣でこのスポーツを楽しむことができたのは名誉なこと。あなたと一緒にたくさんの忘れられない時を過ごすことができました。あなたの新しい人生が最高のものになることを願っています。ピッチの中でも外でも、あなたはフェノメノ(超常現象)だった。僕らはあなたのことが恋しくなるだろう」
クラブの象徴として語り継がれるであろうイニエスタの退団発表はクラブのサポーターにも大きな衝撃を与えた。返信欄では「レジェンド」「愛してる」とポジティブなコメントをする者、涙の絵文字を投稿して「寂しい」と喪失感を露わにする者など様々な感情が入り交じる反応を示した。
リーガ・エスパニョーラで8度(現時点)、UEFAチャンピオンズリーグ4度の優勝経験を誇るイニエスタの退団は、バルセロナにどれほどの影響を及ぼすことになるのだろうか。
via https://www.football-zone.net/archives/100611/2
◆バルサ退団発表の今、イニエスタについて改めて知っておきたい10のコト
バルセロナのスペイン代表MFアンドレス・イニエスタが4月27日、今シーズン限りでの退団を発表した。2002年にトップチームデビューを果たして以来、バルセロナ一筋16年。「ラ・マシア(バルセロナの下部組織)の最高傑作」とも言われた同選手について、改めて知っておきたい10の情報を紹介する。
1.「最初はバルセロナに行きたくなかった」
8歳のときに地元アルバセーテのカンテラ(下部組織)に加入。そして12歳のときにスカウトを受けて、バルセロナのカンテラに入団した。だが、「最初はバルセロナに行きたくなかった」と後に告白。家族と離れ離れになることをなかなか受け入れられず、「ラ・マシアに入団したときは、人生最悪の日だったと思う」と語っている。
2.グアルディオラの予言
1999年の夏、当時現役だったジョゼップ・グアルディオラ(現マンチェスター・C監督)はU−15のクラブ世界選手権に相当するナイキ・プレミアカップでイニエスタのプレーを初めて目の当たりにする。ずば抜けた才能を見抜くのに全く時間は必要なかったという。そして後日、トップチームに上がったばかりのシャビ・エルナンデスにこう告げた。
「お前は俺を引退させるだろう。ただ、あの少年は我々2人を引退に追い込むかもしれない」
実際には引退させられることはなかったが、イニエスタを語るうえで今も有名なエピソードとなっている。
3.トップチームデビュー戦が“キャリア最高の瞬間”
2002年10月29日、チャンピオンズリーグのクラブ・ブルージュ戦でトップチームデビューを果たした。当時、18歳170日だった。今回の退団発表会見で“キャリア最高の瞬間”について尋ねられると、「1つを挙げるのは難しい」としながらも、「ブルージュでのデビューの日のことは永遠に忘れないだろう。トップチームでの最初の1日だ。僕にとって一番意味のある瞬間だった」とコメントした。
4.出場数はシャビに次ぐ2位。“共演数”が最も多いのは?
バルセロナでは公式戦670試合に出場。シャビ・エルナンデスの767試合に次いで、クラブ歴代2位になる。ピッチ上で最も多く共演した選手はリオネル・メッシだ。2人は揃って485試合に出場した。
5.退場数はゼロ
ピッチ上では、華麗なプレーだけではなく、“サッカー選手の鑑”とも言える振る舞いを見せていた。スペイン代表戦を含め、プロキャリアにおいてレッドカードを受けたことは一度もない。また審判への侮辱行為や相手選手との口論もほとんどなく、常に模範的存在であった。
6.タイトル数はメッシと並ぶクラブ歴代最多
イニエスタはバルセロナの成功の象徴でもあった。トップデビューを飾った2002-03シーズンに6位となって以降、2007-08シーズンの3位を除けば、リーガ・エスパニョーラでは常にトップ2入り。トップチーム在籍16年間で実に9度のリーグ制覇を成し遂げている。さらに、4度のチャンピオンズリーグ制覇、3度のクラブワールドカップ制覇を達成。通算32個のタイトル獲得は、メッシと並ぶクラブ歴代最多記録になる。
7.バロンドールは獲得できなかったけれど……
これまでのキャリアにおいて“唯一の空白”があるとすれば、バロンドールの受賞歴がないことだろう。最高成績は2010年の2位。主催者のフランス誌『フランス・フットボール』は先日、彼にバロンドールを与えなかったことを謝罪した。
それでも、イニエスタは史上初の勲章を手にしている。2014-15シーズンのCL決勝で「マン・オブ・ザ・マッチ(MOM)」に選出され、2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ、ユーロ2012の決勝と合わせて、3つの国際大会決勝でMOMに輝いた初の選手となった。
8.飛行機嫌い
過去に「飛行機は好きではない」と告白している。父親のホセ・アントニオ・イニエスタ氏も同じく飛行機嫌いだった。そのため、2010 FIFAワールドカップ 南アフリカを現地で観戦せず。オランダ代表との決勝戦でスペインに優勝をもたらす息子のゴールを目の当たりにすることもなかった。
9.郷土愛
12歳でバルセロナに入団した後も、郷土愛が薄れることはなかった。2011年には、古巣アルバセーテの筆頭株主となる(現在、経営権を握っているのはカタールの企業)。2年後には選手へ未払いとなっていた給与を肩代わりして、同クラブの4部降格を回避させた。数々の功績を称えられ、故郷フエンテアルビージャには「イニエスタ通り」や「イニエスタの泉」がある。
10.ボデガ・イニエスタ
2010年、フエンテアルビージャに「ボデガ・イニエスタ」というワイナリーをオープン。現在も家族らが経営しているのは有名な話だ。ワインの輸出先は35カ国に及び、日本もそのうちの1つになる。今年2月には、日本で開催されたワインの品評会「サクラアワード2018」で、計4本のワインがゴールド賞を受賞。日本のワイン業界で活躍する女性、延べ510名の審査員から高評価を勝ち取った。
via https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20180501/750610.html
◆イニエスタのバルサ退団が正式決定。感動を呼ぶペップの惜別メッセージ。
昨年の10月6日、バルセロナはイニエスタとの契約延長を発表した。契約期間はイニエスタが望むだけ――。つまり生涯契約だ。
バルトメウ会長は誇らしげに笑顔を見せた。
「クラブ史上初めてのこと。異例の決定です。アンドレスはいまも続くバルサの一大成長期の一部であり、’03年からクラブに安定をもたらしてきた。毎年選手は入れ替わるけれど、アンドレスはずっとここにいた」
条件は毎年4月30日までに続行の意思をクラブに伝えること。わずか一言だけで、翌シーズンも自動的にバルサでプレーできるのだから、イニエスタも満足そうだった。
「破格の対応だ。とてつもなく名誉なことだと思う」
ところが去る4月27日、イニエスタは記者会見を開き、今季いっぱいでバルサを去ることを明らかにした。
今年で34歳となり、まもなく自分のパフォーマンスが落ちていく予感がある。自分にすべてを与えてくれたクラブのために、自分の最高のプレーができなくなるのは悲しい。だから、身を引くことにした……。
実にイニエスタらしい、愚直な理由だ。
■22歳から発揮していた負けず嫌い。
生涯契約に同意する前も、彼はバルサ退団を考えていた。
2014-15シーズンにルイス・エンリケが監督に就任して以降、チームにおける役割が徐々に変わって、昨季のリーガ通算出場時間は、初めて1000分を越えた2004-05シーズン以来最少となる1329分だった。
先発が減って交代出場が増えた結果だが、イニエスタは不満を感じていた。チームの力になりたいという気持ちとポジション争いに負けたくないという気持ちがあったからだ。
その負けじ魂こそが「バルサで生き残るカギ」で、「自分はかなりの負けず嫌いだ」とイニエスタはスペイン国内紙で語ったことがある。
実際、2006年11月に筆者がインタビューしたときにも、前シーズンも前々シーズンもほとんどが交替出場だったことに触れて「もっと先発したかったのでは」と問うと、自信ありげに「もちろん」と答えたので、少々驚いた。
当時イニエスタは22歳。ポジションを争っていた相手はロナウジーニョ、デコ、ファンボメルといった歴戦の強者である。
■「優れた選手」の定義さえ変えてしまった。
話を戻そう。
今シーズンからバルベルデ体制となり“元いた場所”に戻ることができたイニエスタは、バルサに残る決心をした。しかしシーズンが進むにつれ、自分の身体が数年前のようには反応しないことを改めて思い知ったのだろう。
それでも、結論を出すまでには何カ月もかかったという。
12歳でバルサに入団してから今日まで、イニエスタは数え切れないほどの功績を残しているが、最も重要なのは世のサッカーファンに「優れた選手」を再定義させたことだ。
彼がバルサのトップチームに上がろうとしていたころ、スペインではまだ頑丈な身体を相手にぶつけながらボールを運ぶサッカーが幅を利かせていた。体格は大事な武器だった。だから、背が低く線が細い選手を見ると、コーチやファンは苦い顔をしたものだ。
そんな状況をイニエスタは、シャビとともに変えてしまった。バルサとスペイン代表の中盤に立って、自分よりも一回りも二回りも大きなマーカーのチェックを卓越したボールコントロールで受け流し、攻守のキーマンとしてタイトル獲得に貢献した。
卓越したテクニックは、体格の不利を補うばかりかチームの力になることを証明した。彼らがいたおかげで、練習という努力が夢の実現に繋がることに気づき、勇気づけられたサッカー少年が世界中にいるはずだ。
■シャビが語る「時間のコントロール」。
イニエスタのテクニックのなかには、戦術的に優れたものもあった。なかでも「時間のコントロール」は試合の展開に対して強い影響力を持っていた。
ボール保持とポジショニングを重視するサッカーでは、状況を見て意識的に時間を作ることが必要になる。達人はシャビだったが、イニエスタも名人だった。
シャビいわく今のバルサで時間をコントロールできるのは、イニエスタの他ではブスケッツとメッシだけとのことなので、来季のカンプノウではこれまで以上に縦にボールが動くかもしれない。
■ペップが16歳のイニエスタに言ったこと。
冒頭の記者会見が終わった直後から、イニエスタを称賛し、退団を惜しむメッセージが世界中の至るところから発せられた。
個人的に気になったのは、監督としてイニエスタを完全に開花させたグアルディオラのものだ。
「彼のプレーを見ることでサッカーをより深く理解できるようになった」
「彼が同じチームにいることで、多くのことを学んだ」
18年前、現役でキャプテンを務めていたグアルディオラは初めてバルサのトップチームの練習に参加したイニエスタを自分の脇に置き、チームに向かってこう言っている。
「みんな今日のことをいつか思い出すだろう。アンドレス・イニエスタが初めて俺たちのところへ練習しに来た日として」
今回、報道陣に向かってイニエスタの偉大さを語ったグアルディオラの脳裏には、あのとき、大人に混じって魔法のようなボールタッチを披露した、色白で華奢な16歳の姿が浮かんでいたに違いない。
via http://number.bunshun.jp/articles/-/830730
◆神戸移籍なるか。イニエスタの真のすごさとは? 最強バルサを支えた“魔法使い”を紐解く
■イニエスタが神戸に!? バルサの象徴がJリーグ移籍か
あのアンドレス・イニエスタが日本にやってくるかもしれない…。8日の朝、ニュースをチェックしているとワクワクが止まらなくなってきた。
バルセロナの下部組織出身で、プロキャリアも同クラブ一筋。スペイン代表の中心選手として欧州制覇と世界一を経験した33歳は、先日の記者会見で涙ながらに今季限りでのバルセロナ退団を発表したばかりだ。
世界屈指の卓越した実力の持ち主として評価されているのは紛れもない事実だが、同時期に活躍してきたスーパースターたちに比べて地味さは否めない。イニエスタはラ・リーガで過ごした16シーズンで400試合以上に出場しているが、決めたゴールはたったの「35」しかない。
毎年のように二桁アシストを連発するような選手でもなければ、見た目の派手さもない。バルセロナの一員として来日した際、東京の地下鉄に乗っていて誰にもイニエスタだとバレなかった逸話はあまりにも有名だ。世界最高峰の実力者として評価されながら、不思議と華やかさとは無縁なのである。
だが、ともにプレーした選手たちからは度々「魔法使い」と称される。世界最高の選手に毎年贈られる「バロンドール」を主催する『フランス・フットボール』誌のパスカル・フェレ編集長は、「すまない、アンドレス」と題した論説で「歴代バロンドールに欠けている偉大な選手たちの中でも、彼の不在には特に心が痛む」とイニエスタに謝罪した。
このようにとりわけ選手や識者たちからの評価が高い。パッと見は地味だが、サッカーを知れば知るほどその味わい深さがわかってくる。そんなワインのような選手が、アンドレス・イニエスタなのかもしれない。
6年前にスペイン代表が連覇を果たしたEURO 2012の準決勝・ポルトガル戦が終わった後、ダビド・シルバが記者たちに語った言葉は非常に有名だ。
「メディアのみなさんは時々、『メッシかクリスティアーノ・ロナウドのどちらが最高の選手か?』と尋ねてくるが、答えは明らかだね。僕にとってNo.1はイニエスタ。彼はスペイン代表のチームメイトでもあるし、ピッチ上でより難しいことを可能にする。ボールと一緒のアンドレスは魔法のようで、素晴らしい人柄のビッグプレーヤーだ」
■実はグアルディオラの“師匠”!? 宿敵からも絶賛
現在マンチェスター・シティを率いるジョゼップ・グアルディオラ監督は、先月バルセロナ退団を発表した直後の記者会見でイニエスタの偉大さについて次のように述べた。
「バルセロナでの最後の年は、彼なしでありえなかった。私がフットボールをより理解するのを助けてくれたんだ。全ての勝利を超えて重要なことは、彼がいつもどのようにプレーし、どんなプロフェッショナルであったかということだ。(中略)私は彼と一緒にいて、トレーニングする姿を見て、多くのことを学んだ。どんなに簡単そうにプレーしているか。最も印象的だったのは、彼はどうやってあれだけ自然かつ完璧に加速するのかということ。彼は比類ない自然からの贈り物を持っていた」
グアルディオラが率いたバルサでの最後のシーズン、獲得したタイトルはコパ・デル・レイのみだったが、イニエスタらとともにリーグ3連覇やチャンピオンズリーグ優勝2回など、数々の栄冠に輝いた。
この恩師による有名な「イニエスタは髪を染めないし、ピアスもつけなければ、タトゥーも入れない。おそらくメディアにとって魅力はないが、彼は最高だ」という賛辞は今も変わっていないはずだ。誰からもネガティブな意見が出てこない。それだけの魅力的なキャラクターを備えた男であるということだろう。
実際、バルセロナ退団を発表したイニエスタにはクラブや代表でのチームメイトたちだけでなく、世界中の彼に憧れる選手たちや、対戦経験のある選手たちからもメッセージが寄せられた。それだけでなく他競技ーー例えばMoto GPやハンドボール、NBAーーのスーパースターたちからも偉大なキャリアへの賛辞が相次いだ。
バスケットボールの世界最高峰リーグ「NBA」のサンアントニオ・スパーズに所属するスペイン人スター、パウ・ガソルは自身のツイッターで「無限(Infinito)、自然(Natural)、巨大(Inmenso)、模範的(Ejemplar)、団結(Solidario)、働き者(Trabajador)、アンドレス・イニエスタ(Andres Iniesta)」と「INIESTA」の頭文字を用いたあいうえお作文で同胞を称えていた。
では、これだけ称賛を浴びるイニエスタのどこがすごいのか。ピッチ上での輝きの秘密はどこにあるのだろうか。
クラブレベルでは宿敵レアル・マドリーの中心選手として戦いながら、スペイン代表では頼れる仲間だったセルヒオ・ラモスは、2015年3月のウクライナ代表戦に向けた記者会見の中で、イニエスタのプレーについて冗談も交えながら次のように話した。
「イニエスタは、全ての母親が自分の娘のボーイフレンドであってほしいと思うような存在。彼のキャリアにおける数字が、君たちが知る必要のあるもの全てを教えてくれる。魔法のような選手だ。彼と比べられるような選手など、ほとんどいない。マドリーで僕たちと一緒でなかったことが残念だ」
■イニエスタが唯一無二である理由
ただ、先述したようにイニエスタにC・ロナウドやメッシのような派手さはない。では、何が優れているのか。それは「脳」である。坂上・山本(2009)によれば、人間の脳には感覚情報処理から認知情報処理、あるいは動機づけ、感情を経て、価値の生成が行われ、意思決定がなされ、運動情報として処理されるメカニズムがあるという。
イニエスタの場合、Aという事柄を感じ、認知してから具体的なBという動作に変換するまでの意思決定のスピードと正確さ、そして目に見える形であらわれるBという動作の精密さが、他の選手に比べて際立っている。これこそが世界最高峰といわれる所以である。
さらに、正しい判断にもとづいて局面を一変させる創造性と、経験に基づいたプレーの再現性や継続性、発展性のバランスが極めて高いレベルで同居している。それでいて1つひとつの動作がシンプルなのである。空いたスペースに入り込んでパスを受け、次のスペースと味方にパスを出す。基本的にはこれだけだが、時に意外性に満ちている。
見ている者があっと驚くようなボールコントロールも、超速で行われる脳内での意思決定がもたらしたもので、それは過去の経験によって積み上げられた脳内のメモリーや判断を複雑に組み合わせて引き出されるものである。
ゴールやアシストの数こそ少ないが、ゴールシーンを2プレー、3プレー遡ってみると実はイニエスタが起点になっていた…というシーンはこれまでに数多く目にしてきた。そして、見落としてしまいそうな何気ないプレーが、ゴールが生まれるうえでクリティカルな働きをしていることも多い。
ボールを扱う技術がずば抜けて高いため、パスを受けた瞬間だけ足もとに視線を落とせばよく、それ以外のほとんどの時間は顔を上げて周囲の状況を確認できる。そうやって集めた大量の情報をもとに次のプレーを瞬時に決断する。
時には自分から最も遠い反対サイドの状況まで把握できていたり、ゴールまでの最短経路が見えていたり、イニエスタの目には2手先、3手先の風景が描けているようである。故にボールを前に進めることがリスクを伴うと判断すれば、すぐにバックパスを選択することもある。狭いスペースでも質が落ちることはなく、所作はシンプルで、無謀なプレーが極端に少ない。
■組織の力を最大化するイニエスタの“魔法”
例えば、イニエスタを象徴する動きに深くて柔らかいターンがある。後ろ向きでパスを受けたところから、プレッシャーをかけてくる相手をギリギリまで引きつけた上でその逆をとり、最小限の動きでボールも自分も前に進める。
森山直太朗は『そしてイニエスタ』という曲の中で「シャビでもなくて」「メッシでもない」と歌ったあと、バルセロナの背番号8のことを「白い小さいマタドール」と表現している。まさに荒々しく向かってくる猛牛を「マタドール(闘牛士)」のようにひらりとかわし、急所に一刺し。その針を通すような精密な一撃が、獲物を瞬時に葬る致命傷となる場合もあれば、じわじわ効いて死をもたらすこともある。
漫画『北斗の拳』で言えば、主人公ケンシロウが「おまえはもう死んでいる…」と宣言した後、敵が「なにィ〜〜〜!?」と疑いながら、時間差で声にならない声を発して絶命する様のような。イニエスタと対峙した相手選手は、自分がやられたことがわからないうちにやられているのである。
彼のプレーはバルセロナで培ってきた技術、戦術、思想…そういった要素によって成り立っている。爆発的なスピードも、圧倒的なパワーもない。それでも世界最高峰たり得ると証明したのがイニエスタだ。
その場にいるだけでチームとしての質が劇的に向上する。年齢とともに無理は利かなくなってきているが、それでもイニエスタがいるバルセロナやスペイン代表と、イニエスタがいないそれらとでは、まるで違うチームになる。攻撃を加速させ、周囲の選手たちの能力を引き出す力は誰にも真似できない。
ここ数年は確かに怪我も増え、1年間を通してフル稼働するのは難しくなった。それでも今季は開幕から気力も体力も漲っている様子で、明らかに調子が良いことは多くの識者が指摘していたところ。まだまだトップレベルで戦えるだけの意欲もある。
グアルディオラ率いるバルセロナに憧れた日本フットボール界は、本質を捉えきれず、彼らの紡ぐ理論を完璧に真似ることはできなかった。だが、イニエスタという唯一無二の名手の動きを間近で感じることによって、革新が起こるかもしれない。そういった意味でも、アンドレス・イニエスタがJリーグ移籍を決断してくれることを期待して待ちたい。
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